俗に「神作品」と呼ばれるものは数多くある。
それはしきりに「神」「最高」という言葉が出るようになる以前からそうだった。
知名度があるのは勿論、人生を変えるインパクトがあったり、時代の象徴であったり、あるいは未来を先取りしたような作品である。
何が神認定であるかは、人それぞれだ。誰かの石塊はまた誰かの金塊かもしれない。
そんな中でこれは「良い」な、と思った一作がある。
多分、上記のいずれにも該当しない。
それがタイトルにもある「味の台湾」(みすず書房)だ。
みすず書房は少し割高で、しかしその価値に見合った作品を提供してくれることに定評がある。
フランクルの「夜と霧」、神谷美恵子の「生きがいについて」など、自分が手に取った範囲でも優れた作品がそれなりの数ある。
そんなみすず書房の中でも、この作品は少し毛色が違う。「味」とあるように、この作品は食エッセイなのだ。
このエッセイは小吃、日本語にすると「軽食」「スナック」と呼ばれるものを多数紹介している。麺類からおつまみ、おやつ、デザートの類までバリエーションは豊富だ。
一つの小吃の紹介は数ページであり、大半は独立していて、どこからでも読めるし、やめ時も決めやすい。
台湾なので商品名や地名は漢字、それも日本だと馴染みのないものがゴロゴロ出てくるのでそこだけは慣れが必要だが、それはそれで面白い読み味になる。
先ほども述べた通り、この作品は「良い」。
飛び抜けて凄いって感じではない。革新的な何かがあるわけじゃない。読めば何かが変わるってものでもない。
端的に述べるなら、この作品には滋味がある。何というか、豊かだ。
取り扱う料理のバリエーションが多いからじゃない。この作品は多数の側面を持つ。
まずは飯テロとしての側面。食エッセイらしいものだ。肉の照りやタレの味わいをはじめとした描写は、空腹時に読んだことを後悔してしまうほどだ。料理の変遷も書かれており、ちょっと研究書みたいな部分もある。
次に台湾文化を観るという側面。
日本語訳とは言え、これといったガイドがあるわけでもないので、かなり置いてけぼりを食らうことになるのだが、その中には確かに季節やしきたりや歴史(中国や日本との関わり)が明暗ともに描かれている。
そして著者のドラマを観るという側面。
食エッセイとして以前に、人間のエッセイが描かれている。言うまでもないことだが文章が巧い。
スパイシーな煮付け卵「茶葉蛋」の節から冒頭を引用する。
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病院の中というのは永遠に食べものが不足しつづけているかのようだ。私は階下の食堂に行ったものの、カウンターの上のものがみな家畜のエサのように思えて、まるで口に入れる気にならなかった。この病院は辺鄙なところにあり、入り口の外にたった一つコンビニがあるだけだ。私はそこに入って二つ茶葉蛋を買った。病院に帰って妻に尋ねた。食べたいかい、いらないか。口が言うことを聞かなくなっていて、たぶんもう飲み下せないのだ。急に口の中の茶葉蛋が苦く感じた。ベッドの上で眠る妻をじっと見ていると、ふと知らない人のように思えた。剃り上げた頭には三つ、はっきりとしたはげがある。きっと一年前に広州で手術を受けたときのレーザーメスの傷跡だろう。命にいくつもの傷跡やひび割れがあることは避けられない。もしかすると、そうしたひび割れがあってこそほんとうの人生なのかもしれない。そう思った。
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この作品は様々な原材料がよく溶け込んだスープであり、こういう雰囲気はずっと浸っていたくなる。飛ばし読みせずにちゃんと完食したくなる。
そういう点では美味しい料理のようでもあるか。