飛び石の祝日なのか頭がぼんやりとする。
今進めている「ゆるく学ぶセキュリティ入門」を取り急ぎ仕上げて、予約投稿した。
https://kakuyomu.jp/works/2912051604889839098
最近、AIとセキュリティに関する話がホットになっていて、色々自分でもまとめておきたかった。それなりに興味を持った方がいらしたようで何よりだった。
調べていくうちに、AIはどこまで出来るのか、セキュリティはどこまで対応すればいいのか、が分かっていってかなり安心した。
と同時に、何とも複雑な気分ではあった。
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スマホが出て、AIやロボットが実用レベルになって、ゲームは実写さながらの画質に、演者はテレビからPCの画面、それもかわいらしいアニメ調の3Dモデルになった。
どれもこれも、改めて考えるととんでもない話だった。SFの設定だった。どれか1つ取っても可能性に満ちている。
しかし、どれもこれもすべて高が知れた。「このコンテンツはどこまでいけるか」、その大体が見えてきた。
確かにAIやロボット、それに関連する産業は何十から何百兆円が簡単に動くお化けジャンルになった。計り知れないインパクトだ。期待(不安)の種そのものは今もポンポンと生まれている。何かが急騰するだろうし、何かが暴落するだろう。その煽りを受けて今の仕事にも影響が出るかもしれない。
なのにその先に、痺れるものがない。きっと夏バテで疲れているのもあるだろうが、どうも鈍っていた。
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子供のころ、私は暗い場所が怖くて仕方がなかった。
平然と暗闇に突っ込む両親や大人の振舞いが信じられなかった。
今は怯えることはもちろんない。通いなれた場所で、予想がついているからだろう。「自分の身に危険が及ぶことはない」という地盤に足が接している。それは、環境が自分に及ぼす影響の限界——高が知れているということだ。
一人目の子供にてんやわんやしていた両親が、二人目以降にはある程度放任になるとされているが、これもまた予測が立てられるようになるからだ。
これが「大人になった」ということか。予測できなかったことが予測できるようになり、過度な幻滅や期待をしなくなった。安定的な生活とは、予測可能性の中にある。予測できないものへの期待は、ギャンブルに変わりない。
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AIでゴーストライターなんて、今から10年前だったらまあ信じがたいものだったろう。
だからこそみんなある意味ポジティブだった。限界は知りようがないし、そもそも芸能人みたいな、自分たちの取り組みとは大よそ関わりのない存在であったろうし。
今においてもAIライターという存在がもし一人、もしくは選ばれた数名だけの存在であったなら、友達になってみたいという人や、素直な賞賛みたいなものがあったんじゃなかろうかと思う。
現在の夢の象徴には、全クリされたゲームのような、そんな気怠さがあるだけだ。