• エッセイ・ノンフィクション
  • ホラー

エンタメ叩き棒


 エンターテイメントであることは、(特にネット上における)相手へ攻撃する大義名分となっている。

 所詮はエンタメじゃん、何をマジになっちゃってんの?
 本気になっていることを笑う、茶化す。

 気持ち良いのだ。相手の本気を受け流せるオレ(ワタシ)カッケー。

 アポもなしに相手の領分に土足で入り込んでおきながら、好き勝手馬鹿にしておきながら、いざ刃を取り出したら、「いやエンタメでしょ?」と、あたかもこちらのノリが悪いかのように野次を飛ばす。

 攻める側は相手側のホームで好き勝手する。だから、失うものがほとんどない。ぶっ壊しにいくこと自体が目的だ。
 攻撃した側が(反撃を受けて)ブロックするなんてこともザラ。

 相手を否定することの労力は、自分を積み上げる労力に比べれば断然小さい。まったく隙のない人がいない以上、ボロは必ず出る。
 そのほんの僅かなボロを、顕微鏡で巨大にして、「この人(会社、あるいは業界)は巨悪です」とあげつらう。

 告発者ってカッコよくない? そんなノリだ。なんか主人公って感じがする。
 実際は深夜の市街地でエンジンをブンブン吹かせて爆音をかき鳴らす迷惑ライダーとそう変わらないけども。

 反応しなければ図星を突いたオレ(ワタシ)の勝ち、反応したら図星を突かれたお前の負け。

 話が大ごとになってきたら「は? こんなげーむにまじになっちゃう人なの?」と返す。

 勢い余って殴られたら、わざとらしく二の腕を押さえて「この人に手を出されました……被害を受けました」と遺憾の表明。

 無敵だ。
 論点はずらし放題、荒らし放題。
 相手が感情的になればしめたもので「釣れた」ことになるのである。
 オレ(ワタシ)はこんなに有名なヤツにも有利に戦えるんだ、と自分の価値に惚れ惚れする。

 胸に成果を示す勲章をつけて、また別の戦場を探す――



 この手法は何でもコンテンツとなった現代の「遊び」だ。

 誰でも薄く広く物事を知る(かじる)ことができる現代における病気のようなものだが、それ自体がエンタメとして需要がある(=金になる)のが始末に負えない。

 あらゆるものがコンテンツ化され、対象に拒否権はない。誰かが「見せもんじゃねえぞ」と息巻いても、それは見せ物(エンタメ)だ。痛ましい事故ですら、スマホで撮られて即座に見せ物になる。
 コンテンツになることは、それに「感想」を書き込むことが許されるということで、真面目だろうが、愉快犯だろうが、来るものを拒めない。

 現在の刑罰や規則には、「毒」のような、長期的に累積される制裁のやり方がない。その時点の規則に照らし合わせ一定のものを一度に与えるしかない。

 昔はそれでもよかった。そこまで凶器(スマホやPC)が一般市民に出回ることはなかったし、そもそも見ず知らずの人に喧嘩をふっかけるきっかけが少なかった。人手にも限度があるため、やむを得ない話でもあった。
 現在は誰もが誰もに攻撃できる。執拗に長期的に小刻みに。防衛しなかったそっちが悪いと言われる。

 何より怖いのは何がきっかけで襲われるのかまるで見当がつかないことだ。
 正しいかそうでないかではなく、その人にとって気に入るか気に入らないかで決まるのだから。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する