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不足の美学


 二次創作ではよくスレンダーな、あるいは通常の体型を持つキャラクターに対して、「ボン」を付与する風習が見受けられる。

 まあ、分かる。
 ビュー数が多くなるだろうし、そうでなくても、どうせ描くなら刺激の大きいものにしたい欲求はある。ニンニクをついつい足したくなるのと同じ感じだろう。
 自分も絵が描けるんだったら、男性は筋肉マシマシにしたいし。

 いや待て、という派閥もある。
 慎ましいからこそ魅力的な点もあるじゃないかと、そう語るのだ。
 しかし、どうにもハードルが一枚多い気がする。グラマー派閥と比べた際に、どうも説得にワンステップかかる気がするのだ。
 欲求を手っ取り早く満たしたいとなった時、それは一手のズレが勝負を分けると言ってもよいわけで、これが後塵を拝する結果になっている気がするのだ。

 これは「地味」「モブ」という属性にも当てはまる。地味だから(そのさり気なさが)良いんだという説明には、常に一枚の壁がある。
 地味な子かと思ったら実はメチャすごいんです、という展開が描かれがちで、そうなると地味とはなんなのか、という話になってしまう。

 カメラがたまたま向けられてなかっただけで、実はカメラが向けば主役になれるんです、と言わんばかりだ。
 物語を書くということはそういうことなんだろうが、結局何かしらで盛らないとダメなのか……という気持ちがある。

 物足りないからこそ良い、というのはやはり難しい。どこかに「(他はダメでも)自分なら愛でてあげられるよ」という上から目線が含まれてしまう。
 

1件のコメント

  • とても勉強になる一説です。

    「他の宗派」にこの魅力をどうしたら伝えられるか。
    自分でキャラを生み出し始めて、本当の難しさを理解しました。
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