おすすめレビューのルーチンワークも4年目に突入した。
どんぐりの背比べではあるだろうが、
カク側の自分よりヨム側の自分の方が、おそらく知名度が高いし、求められている姿なのだろうなとも思う。
とはいえ、時間を倍かければ倍できるようになるわけでもないし、今のペースがおそらく最適なのだろうと思える。
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何かに夢中になっている間、その人は周りの視線を気にしなくなる。
視線が気になり、また、視線を求め、視線をよこすようになるのは、大体は自分に自信がない時である。
ネット上における視線のすれ違いは多い。
見えていないだろうと思って荒らしをする。しかしそれは見られている。
見えているだろうと思って自分をアピールする。しかしそれは見られない。というより見えない。
それは現実世界と違って、生物的な視野で障害物や距離を測れないから。
マジックミラーで構成された鏡の迷路のようなものだ。
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個人を構成する要素は、もちろんカクヨム以外においても存在し、その中でも視線は飛び交う。
会社員としての自分、誰かの知り合いとしての自分、家族の前での自分。
先日、街中を歩いていたら、老人に声をかけられた。
車の通行量の割に狭い道路の前で、レジ袋を重そうに抱えて立ち竦んでいた。
話を聞くと、歩道がきちんと用意された少し先の広い道路まで進みたいらしい。
どうということはない。
視線が合ったし、それをやらない理由もなかったためだ。
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求められたいなら、求める視線を求めるしかない。
でもそれは、別に一つの切り口でじっと待つことではない。
様々な場所に寄り道して、風景をぼんやり眺めてみればいい。
自分に向けたであろう視線というのは、意外とあるんだ。飲み屋のキャッチだって(仕事ではあるけど)向けてるわけだからね。
最初から金ピカな視線ばかりを求めてたら、それは大変だろうと思う。