• エッセイ・ノンフィクション
  • ホラー

何かを愛するとき、基本的には我儘になる。


 仰々しいタイトルだが、哲学的な話じゃなく、趣味とか嗜好の何気ない話だ。

 最初に出会ったもの(ファースト・コンタクト)に脳を焼かれた時、そいつはそのジャンルにハマる。

 特に悩みに悩んで選んだものが自分にクリーンヒットした時は格別だ。



 子供時代の自由にものを買えなかった時に手に入ったゲームや漫画が、自分を揺り動かす。

 大人になってからでも、例えば心にポッカリと空いた穴を、出会ったVチューバーがぴったり埋めてくれたなら、それはエンタメの域にとどまらない、その人にとっての転換点になる。

 その出会いは酒でもパチンコでもAIでも変わらない。脳を焼かれれば、人はそれと交際する。

 対象に尊敬、崇拝、陶酔にも似た感情が出て、何だったらそこまでどっぷり浸かったことに、少し気恥ずかしさすらもある。



 素面の人は大体知っているが、「恋をすると人はバカになる」。

 自分と愛したものとの先に光り輝く道が広がると確信し、愛したものは必ず自分に報いてくれると盲信し、この情熱がずっと続くと過信する。

 自分の理解が十分に済んだと判断して、今度はその内面を押し付けるようになる。我儘になる。

 人ならまあ受け入れるか、愛想を尽かすかするが、コンテンツはそうもいかない。相互の交流など夢のまた夢だ。一方通行の線が1本か2本であるだけが大半だ。

 人はその様子を見たときに2つの反応を示す。
「それでいいじゃないか」と「何をくだらないことを」だ。

 例えば愛娘にベタベタくっつく父親と、画面の中の美少女イラストにベタベタくっつく誰か。
 その反応がまったく同じにならないことは何となくわかるだろう。でも後者の熱意が前者より低いとも質が悪いとも、断言は出来ない。

 双方が言うだろう。「代わりなんているもんか!俺はこの子に惚れ、この子の前だからこそベタベタしてるんだ!」と。



 何かにハマりたいなら、最初の出会いはしっかり考えたほうがいいかもしれない。

 評価が高いだとか、新しいだとか、高級だとか、そういう基準で語れないのが、難しいところだ。

 なぜなら他ならぬ自分とピッタリ合わせないといけないから。自分に見合ったものと出会わないといけない。
 高すぎると、畏れ多くなって、まともに触らなくなる(置物化する)。
 かといって安すぎると、今度は雑に扱うようになる。これではハマらない。

 そして繰り返すが、仮にハマった場合、その人はバカになる。常識じゃ考えにくいことを平然とやるようになる。トラブルが増える。
 これは制御できるものでもなく、しばしば衝動的になったり、自分の知られざる一面が発生する。罪悪感もある。生身の自分の、愚かさを知る。

 とはいえ――
 脳が焼かれた瞬間の記憶は、強く残り続ける。

 時間を経るごとに、あの時、人生は変わったのだと思う。「〇〇してよかった」の最上位とも言える安堵、快哉が押し寄せる。

 対象に価値があるからだとか、自分の体裁を整えるためだとか、みんなやってるからとか、そういうのじゃない……自分が求めているから、何にも分かってないかもしれないが、それでも大切にしたいという感情が、内側からこぼれだす。
 自分の選択した方向に身を投げ出せる喜び。

 それが数少ない経験の中で私が抱いた、ハマることへの思いである。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する