AIの話だ。
あの有名なイーロン・マスクが「2026 is the year of the Singularity.」(2026年はシンギュラリティの年だ)とツイートしたらしい。
世界的な発言力のある人は、どうにも過言を使いがちだが、この際そんなことはどうでもいい。
この話を聞いた感想を正直に言うと「そうですか」だった。だって、AIの進歩は劇的なものがあるし、ロボット……ハードウェアへの組み込みも次々となされているとも聞いている。
不眠不休、経験は即座に他機に反映され、寸分のエゴもない最強の「労働力」の完成だ。
要するにその主(ホスト)になれたごくわずかな者が、総取りできるようになるわけだ。それを巡って色んな国が頑張っている。
OpenAIは発電所を買い取るらしいし、Googleは宇宙空間にエネルギーを見出した。その実現に向け、世界中から吸い取った血をすべてオールインして、動き出している。
酔狂な話だ。
とまあ、ソフトもハードも両方押さえられて、人の立つ瀬はほとんどない。
だからシンギュラリティと言われても何ともな気持ちだ。
シンギュラリティの象徴、AGIとは要するに
「特定の用途に限らず、人間ができる行動であれば……それが妄想といった未知のものであっても、時と場合に従い自律的に選択、遂行できる」
ということで、これが人間と同等、またはそれ以上と発言する根拠である。
これが量産できれば、すべてのタスクが理論上は片付き(AIが反逆しなければ)、それから新たな世界が始まるという算段なのだが、新世界の舞台に自分が立っているかは分からないということだ。
舞台に立っている人が戦々恐々とするのは自然なのだが、舞台から追い出され、俯いてどこかをほっつき歩く人にとっては、まあ、そもそもなのだ。
意味なんてものがどんどんと形骸化しつつある現代において、「すべてに意味がなくなる」と言われたところで、それは極めて順当な未来予想図ではないかと、思ってやまない。