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青年時代からの卒業


 喚いても2026年。

 今年……というより今後数年間で達成する目標として「青年時代からの卒業」が挙げられる。

 青年時代というのは、どうにも期間が明確には定まっていない気がする。自分なりに考えてみた結果、青年とは「自分のスタンスを固める」までの期間だ。

 固めたスタンスをもとに実現へと動くのが壮年期ということで、場合によっては未成年なのに壮年期という人物もいると見ている。


 アダルトチルドレンというのは、少年時代で止まっている人と、青年時代で止まっている人に二分されると思っていて、後者は一丁前に社会人生活を送れもするが、内心の苦悩は大きい。
 その苦悩は拙作「年を越すということ」で書いた。

https://kakuyomu.jp/works/822139842063832895/episodes/822139842065737239

 スタンスを固める。自分にある幾つかの可能性の息の根を、自分で止めるということだ。臆病な自分はそれができないでいた。色々な理由をつけて、それを残し続けた。
 どうも自分は可能性という言葉が大好きらしい。周りから見たら悪臭を放つ可燃性ゴミでも、自分にとっては大切なものと思ったら捨てられない。
 意外と大切でもないわ、ということを諭してくれる断捨離、ミニマリズムが一部で流行した背景には、もう流される青年時代にはうんざりだと思った人が少なからずいたのかもしれない。

 黙っていても、あと十数年経てば近隣住民の苦情がもとで強制退去になるだろう。その頃には、自分自身が悪臭を放つ可燃性ゴミだ。

 それが嫌だと(昔はそうでもなかったのに)、そうなる前に自分の手で捨てたいと思ったのは、生存本能なのか、それとも親の心を知ったからか。

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