【鈴谷(すずや)】
・艦として
・艦種:重巡洋艦
・艦級:最上型重巡洋艦三番艦
・前級:高雄型
・次級:利根型
・建造:横須賀海軍工廠
・進水日:1934年11月20日
・所属:なし
・全長:201m
・最大幅:20.2m
・基準排水量:12,000噸(トン)
・対艦兵装:五十口径三年式二十糎(センチ)連装砲×5 九〇式六十一糎3連装水上発射管×4
・対空兵装:八九式十二糎七連装高角砲×6 九六式二十五粍(ミリ)連装機銃×8 九三式十三粍連装機銃×2
・対潜兵装:六式墳進爆雷砲×2
・搭載機:約3機(偵察用)
最上型重巡洋艦は元は軽巡洋艦として建造されたので、艦名は河川名が基準となっており、樺太を流れる鈴谷川が由来である。なお河川としては「すすやがわ」と発音するが、本艦の艦名は「すずや」である。この名前の使用は二度目。
前述の通り本艦を含む最上型重巡洋艦は、建造当初は紛れもなく軽巡洋艦であった。その装備は15.5cm3連装砲5基、計15門を搭載するというものであり、軽巡洋艦としては世界最強の戦闘能力を持っていた。軽巡洋艦時代の主砲は60口径という長大な砲身を誇り、射程で20.3cm砲に劣らないばかりか、単位時間あたりの投射砲弾重量で上回る優秀砲であった。
建造時から20.3cm砲への換装を前提にして、重巡洋艦と比べて遜色ない規模の船体(他国には8,500トンと通告)を与えられていると言われるが、15.5cm3連装砲と20.3cm連装砲では旋回部の直径が異なり、最上型の場合2番主砲と1番主砲がぶつかるなど不具合が多く、設計時から重巡洋艦にする予定だったという説には疑問が残る。防御力は妙高型や高雄型と概ね同等だが、砲戦で重要となる舷側装甲はやや薄い。もっとも、ロンドン条約の範囲内で建造された巡洋艦の装甲などほとんど当てにならないが。
鈴谷と妹の熊野は第四艦隊事件を受けて船体強度を増すべく設計が少し変更されており、鈴谷型と呼ばれることもあるが、公式の書類にそう言った分類はない。また、重巡洋艦に改装されても書類上は軽巡洋艦のままである。
1939年に主砲を換装され、大東亜戦争には重巡洋艦として参戦する。緒戦では南方作戦の支援に当たり、その後暫くは通商破壊に従事する。1942年6月のミッドウェー海戦に参加するが、特に戦果はなし。本戦の終了後、ミッドウェー島への艦砲射撃を敢行すべく全速で航行するが、作戦は中止された。10月の南太平洋海戦では米軍機の襲撃を受けるが、何とか魚雷を回避して生還した。11月、ヘンダーソン飛行場砲撃に参加し、これを成功させた。
1943年5月からソロモン諸島周辺で活動する。1944年6月のマリアナ沖海戦、10月のフィリピン沖海戦では特に戦果を挙げられずに終わった。その後も海上護衛などに従事し、大きな損傷なく終戦を迎えた。
戦後は、日ソ国境地帯を流れる鈴谷川を艦名の由来とすることから、響(ヴェールヌイ)と共に両国海軍の親善事業に従事する。鈴谷の船魄については、アメリカ式の技術を一応習得しておくことを目的に、ソ連で船魄化改装がなされたという異例の経歴を持つ。日本の技術の劣化コピーである米式の更に劣化コピーであるソ連式から学べることは大して多くなかったが。
1950年以降は第五艦隊の一員としてアメリカ方面に睨みを利かせ、キューバ戦争の勃発と共にアメリカ軍と交戦する。1954年10月25日、米軍機の空襲を受けて弾薬庫が誘爆し、撃沈された。
・船魄として
・技術系統:米式第一世代
・身長:165cm
・体重:78kg
・血液型:A型
・髪:茶色
・目:青緑・茶色
・好きなもの:人命救助・ストーブ
・嫌いなもの:曲がったもの・喧嘩
明るく人当たりのよい少女。楽天的な性格であるが、それ以上に自分の生死に関心がなさそうな様子を窺わせる。先述の通り、日本とソ連の架け橋的な役割を担っていたので、皆が仲良くして欲しいと思っている。また、動くのが嫌いなので大抵自分の艦内か陸上の自室に引き籠っている。