せっかくなので、オーストラリアに行った理由の国立公園について書きます。
ワンコが迎えにきてくれた話だけでなく観光の話を少々。
赤茶けた大地に突如として現れ、まるで幾千ものハニカム構造が折り重なったような縞模様の奇岩群――オーストラリアの「パーヌルル国立公園(バングル・バングル国立公園)」。
その圧倒的な光景は、訪れる者を地球の原始へと引き戻すほどの魔力を秘めている。
しかし、その美しさの裏側には、人間の存在を優に拒絶する過酷な自然の掟が潜んでいたのだ。
◇◇◇
当時を振り返ると、今でも背筋が凍るような緊張感が蘇る。
頼みの綱であるはずのプロのガイドが立ち止まり、周囲を見回して真剣にルートの確認を行っている。
「ここは私たちの知っている世界とは違うんだ」
という強烈な現実が突きつけられた。
気を抜いたら危険な地域なのだと。
しかし、プロのガイドの顔色が蒼白になるのを目の当たりにした瞬間、
「もしかして遭難?死ぬかもしれない系?やばいな二年連続で遺書を書かなきゃいけない感じ?」
※(2回目というのはこの前年、冬の吾妻連峰で遭難しかけた)
という言葉が頭をよぎった。
どこを見渡しても同じような形をしたオレンジと黒のドーム群。照りつける太陽のもと、風化によって刻まれた溝だけが幾何学模様のようにどこまでも続いていく。
パーヌルルが「地球最後の秘境」と呼ばれる理由は、単なる美しさではない。
一歩足を踏み入れれば、そこは電波も届かない、人間の認知をあざ笑うような「完全なる迷宮」なのだ。
特に過酷なのが、公園の最奥部に位置するピッカニニー・ゴージエリア。
そこで私たちは迷った。
本流から枝分かれする「5つの指」と呼ばれる細い谷は、どれもが同じ顔をして旅人を惑わせる。サラサラと足をすくう深い砂、足場を阻む灼熱の岩場、そして目印ひとつない広大な荒野。雨季の大雨によって毎年地形が塗り替えられるこの場所では、いかに場数を踏んだプロであっても、一瞬の判断ミスが命取りになり得る。
右の谷へ進んでも、左の谷へ進んでも、現れるのはさっき見たはずのそびえ立つ奇岩の壁。進んでも進んでも無限のデジャブが繰り返され、まるで空間そのものが歪んで閉じ込められたかのような錯覚に襲われた。
頭上からは容赦ない太陽が照りつけ、放射熱を放つ岩壁がジリジリと肌を焼き、体力を削っていく。頼みのスマートフォンは虚しく「圏外」を示したままだ。水筒に残された水の量は刻一刻と減り、カチカチと刻まれる時間とともにドクドクと心拍数が跳ね上がっていくのがはっきりと分かった。
見上げれば、青すぎる空と不気味なほど静まり返った赤茶けた断崖。風の音すら途絶えた沈黙の中で、「このまま誰にも見つけられず、地球の隙間で渇き果ててしまうのではないか」という底知れぬ恐怖が、冷や汗となって背中を駆け抜けた。
幸い、ガイドさんが冷静さを取り戻し、わずかな岩の陰影の変わらないランドマークを手がかりに本来のルートへ戻れたから良かったものの、あのとき、もし本当にあの迷宮の奥深くへ迷い込んでいたら……。無事に生還できたことは、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい出来事だった。
◇◇◇
あれほど生きた心地がしなかったにもかかわらず、なぜ今、また改めてパーヌルルに行きたくなるのか?
それはおそらく、あの強烈な恐怖と引き換えに見た景色があまりにも美しく、そして人間のちっぽけさを教えてくれる「地球の鼓動」そのものだったからに他ならない。人間がコントロールできない大自然の圧倒的なスケール感に触れた記憶は、時間が経つほどに不思議な引力を持って心によみがえってくるのです。
今度もし再びあの赤茶けた大地に近づくとしたら、あの時のように足がすくむような地上を歩くのではなく、空からその全貌を俯瞰してみたい――そんな思いが頭をよぎる。上空から見れば複雑怪奇な「5つの指」も、きっとひとつの芸術的な曼荼羅のように目に映るはずだ。
あの日のハラハラドキドキする恐怖を、今度は安全な「空からのワクワク」に変えて。
いつかまた、あの太古の迷宮と再会できる日を夢見て、地図のないロマンに思いを馳せている。
◇◇◇
死にかけた経験や、圧倒的な景色、過酷な環境は経験したことは無駄ではないなぁと文章書く時に思うことがあります。経験に勝るものはありませんからね……