あの日から7年という月日が流れた。京都アニメーション放火殺人事件。
多くの才能あるクリエイターの命が、理不尽かつ身勝手な動機によって一瞬にして奪われたあの惨劇は、今なお日本のクリエイティブ業界に暗く、深い影を落とし続けている。
事件の背景にあったとされる「アイデアを盗まれた」という容疑者の妄想。これが一端となり、エンターテインメント業界やクリエイティブ企業における「外部からのアイデア受け入れ」に対する姿勢は、この7年で劇劇に変貌を遂げた。
現在、多くのクリエイティブ企業で鉄則となっているのが、「求職者や外部からの未募集の企画・アイデアは、いかなる理由があっても受け取らない、見ない」という徹底した防衛策である。
◇面接室で徹底される「静止」と「未開封」
クリエイティブ企業の採用現場では、現在以下のような厳格なルールが運用されている。
弊社でもこう言うルールがあります。
【面接時に応募者が「こんなアイデアがあります」と話し出したら、その場で即座に静止する。】
【持ち込まれた企画書は、絶対に封を開けずにそのまま返却する。】
一見すると、熱意ある求職者の芽を摘む冷酷な対応のようにも映る。しかし、ここには企業側が抱える極めて現実的なリスクマネジメントが存在する。
もし、不用意に企画書に目を通したり、アイデアを聴取したりした形跡が残れば、後にその企業が類似した作品を発表した際、「自分のアイデアを盗作された」「不採用にしてアイデアだけを搾取された」と主張され、法的トラブルや執拗な抗議行動に発展するリスクが跳ね上がるためだ。
◇「見ない・受け取らない」という企業法務の標準化
企業法務の観点から見れば、この「見ない・受け取らない」というスタンスは、今やクリエイターと企業双方を守るための業界標準となっている。
かつては、熱意ある持ち込みから大ヒット作が生まれるといった美談もあったかもしれない。しかし現代においては、公募ガイドラインに則っていない「未募集の作品」を不用意に受け取ることは、企業にとって致命的な訴訟リスク、ひいては従業員の安全を脅かすリスクへと直結する。この防衛策は、誰かを拒絶するためではなく、自社のクリエイターの安全と知的財産を守るために不可欠な盾なのだ。
同様の理由から、不特定多数から作品を募る「公募(コンテスト)」の運営に対しても、企業側はより慎重な姿勢を求められるようになっている。
◇求められる「作品」と「作者」の適切な距離感
京アニ事件以降、創作をする側とそれを受け取る側の「距離感」のあり方は大きく見直されることとなった。
作品への強い熱量や愛着を持つこと自体は決して悪ではない。しかし、その情熱が「作者個人への過度な執着」や「自己のアイデアの押し付け」へと変質したとき、それは凶器となり得る。
事件以降、創作の世界において「創り手」と「受け手」の距離感は決定的に変わった。
熱意や愛着が暴走し、「自分のアイデアが盗まれた」という歪んだ執着に変質したとき、それはクリエイターの命さえ脅かす凶器となる。企業が敷く「見ない・受け取らない」という冷徹なまでの厳戒態勢は、そうした予測不能なリスクから身を守るための、文字通りの『防壁』なのだ。
素晴らしい作品を生み出す場が、これ以上脅かされないために。いま求められているのは、ファン側が「作品を愛すること」と「創り手のプライベートや領域に踏み込むこと」を明確に区別する配慮である。
ファンが適切な距離を保ち、創り手の領域を侵さないという理性的な「一線」を引くこと。それこそが、委縮することのない自由な創作環境をクリエイター側に担保し、次の名作を生み出す土壌を守るための、最も確実な防衛策なのである。
【あとがき】
昨日、帰りの新幹線で考えていたことを書きました。エッセイとは違うしルポに近いのでカクヨムにないジャンルだし近況に載せました。
作家の皆様はクリエイターなので、暴走した人や粘着されることもあるかと存じます。
「読んでください」に対して「読みます」は挨拶みたいなものと思っている人と「読みますと言うからには♡も⭐︎もレビューも書いてくれるよね!当然よね!」と思う人もいて人の価値観は千差万別なので、本当に難しいですよね。
特にカクヨムのようなSNSにちかい媒体は距離感が難しいですから……。
書くのが楽しいんだぜ!という爽やか健やかな方ばかりと交流させていただいている事がありがたいなと私は感謝でむすばせていただきます。