土着神信仰は畏怖の念というか恐れが先に来てるから「怒らせないように」と「こちらをどうか意識しないで欲しい」という祀ることで境界線を作ることが前提で、
「じゃあ誰も祀らなくなったらどうなるの?やはり結界から出てきて祟りを成すのか?」
ということを考える。
信仰がなくなれば消えてくれるなら、仇をなしてくる祟り神なんか最初から祀らず早く忘れて消えてもらうほうがよかろう。
消えてくれないから祀るのであって必死になるのだろう。
私の故郷もおかしな風習があり、変な神社がある。神事の話も枚挙にいとまがないくらいのしろもので色々めんどくさかった。
大学進学と共に故郷から出ていく若年層が多くUターンはないそうだ。
なんなら子育て世代が昨年学校の閉校と共にごっそり出て行ったとも聞いた。
残るは高齢者が8割というとんでもない集落である。消滅可能性集落というそうだ。
さて、山の神社の話だ。
あれはどうなるんだろう7歳神事も子供がいなければ成立しない。山上にあるから残る高齢者では保つのは難しいだろう。
災いを成すには成すべき人がいる。
集落に人がいなければ、神は人のいる所に災いを成すのだろうか?
そんなことをグルグル考えていたら、駅乗り過ごして私今、新神戸にいます。