昨日「信頼ある作家になら何をテーマに書かれても(異世界、転生、追放など、テンプレ系)楽しみに思えるんだ」ということを大発見した私ですが……
同時にもう一つ発見したことがあります。
信頼ある作家でも、「AI使用」(申し訳ないがこれは補助すら含む)なんだと分かると、高確率でがっかりするんだなということ。これは補助もです。私は本当に触れたこともないから一体何をそんなに補助されてるのか内容すら分からんのですが……。
校正だけでもない感じなんですね? なんかアイディアの段階で補助を受けたりしてると聞いたことがあってアイディア頂くって研究者的にはもうちゃんとその人の名前も研究発表者に入れなきゃいけねえくらいの存在じゃねえか タグはいいからもうお前の名前と連名で「AIさん」って入れとけよ……って思うくらいなんですが、
勿論私が読み進めている話の中でも、補助利用はしている方いるようです。
AI補助は私の中でスポーツのドーピングに似ています。
ドーピングで才能の無い選手が、才能ある選手になることは出来ません。
しかしドーピングで体質を変え、手っ取り早く筋力をつけたり、疲れにくくして長時間の運動を可能にしたりして、普通の人が普通に受ける負荷を半減したり軽減したりして、「薬に頼って体質を変えたり、強化したりする」のです。
AIをはなから当てにしてて、使うことに躊躇いがない人間に対しては、私は逆に何にも思いません。私にとってのAIの真理は「使う必要のない才ある者は(アイディアに悩むことさえ、楽しむ、そういう、作家としての苦労を楽しめることも才。)使う必要のないもの」です。
使ってますと聞くと、内容を見て、「ああ、これだから貴方使ってんだね」もしくは「使ってこれか!!💢」と納得するのが大概。
こういうのはもう放っておけばいいのです。好きに書いたらいいああいうのは。
私はスポーツを見てるので、天然の才能の凄まじさとかは一発で分かります。
努力で上達する選手も、見続けていたら分かります。
同時にヘタクソな選手は、ある日奇跡的に活躍したとしても、次の試合ではまたヘタクソであることも分かるのです。
偶発的な良い結果と才能は全く一致しません。
これは明確に分かるのです。
一番残念なのが「貴方絶対AI補助なんか要らないであろう才能なのに何故使ってんだ……」という人。
補助輪みたいなものなので「ああ貴方にはそらAI必要だね」と思う人はもう補助輪使って作家気分を好きに味わってればいいよとほぼ無視なのですが、
こういう、この人の着眼点とか、感性とか。
才能あるのにな~~~~~あなたAIとか絶対使わないでいい人でしょ!!
逆にどこに使ってんの!?(校正とかなのかも)という人が
「補助利用」のタグとかついてると、やっぱり一番あああああああ……ってがっかりします。
失望とかではなく、あんた要らない人でしょ!! と思うからです。
AI要らない人はAI使っちゃうと、スポーツで言えばドーピングみたいなものだから、やはり陽性とかで引っかかる危険(危険というか、駄目だからな。見つからない限りいいということではないので危険という言い方はおかしいのだが)があるから逆に素晴らしい選手は絶対やらないで!!!💦と思うのです。
テンプレ系の話でも、信頼する才あるなこの人ーって思う書き手が書いてるのは全然楽しみに思えることは分かったのですが、
多少なりとものAI利用に関しては、やはり信頼する、才あるなこのひと、って思う人が少しでも使ってると、かなり残念に思ってしまうことは分かりました。
使わないでいい人は、使わないでいてくれるといいなとやっぱり私は思うようです。
そうなのですそういうのを考えていた時にもう一つ思うことがあってね……。
実は「私の中では」私はすでに、下手期を抜けました。
上手です。文章書くのは。書き手としての感性は死ぬまで磨き続けようと思いますが、現状「自分の脳内にある書きたい情景を、技術が無いため表現出来ない」ということは一切なくなりました。(下手な頃はこれがものすごくあった。だから今は上手くなった、と自分で言える)
面白い話や展開を考えるとかはありますが「思い浮かばなくて悩む」ということはほぼ無く、私が思うに、上手い人が次にやるべきことは【言葉を吟味する】という作業なんだということが分かって来ました。
上手く書く、というのは第一段階の第一関門だったのです。
私が最近自分の文章で気になるのは、「セリフを言った時の語感や語彙」。「行間を開けて、読み手に与えるニュアンス」など。
常に自分の作品は日々読み返していますが、気になるのそういう部分なのです。
要するに【完成度を高める】という作業が気になって来るのですね。
①上手く書く
②完成度を高める
これが第二段階の第二関門なのだと最近思うのです。
一番最初に決めたセリフ、もう上手く書けるので、全然悪くないんですよ。
ただ何度も何度も読んでると「こっちの方がいい響きだな」とか「こっちの方が語感がいい」とか、こだわりが出て来るのです。
そういうのを吟味して、「うん! 前より良くなった!」となると
ニッコリ🌸顔になります。
上手い人ほど、こだわりを探す余裕が出来ます。
だから文章が上手くなった次にやる作業は「吟味すること」なんだと思います。
試験で、
実力の無い人は考えながら全問やるのが精一杯ですが、
実力のある人は全問終えた後「見直す時間すら残せる」ことがありますね?
見直すことで更に試験の完成度を高められるのです。
あれですね!
でも……。
実はこれって実力の無い人がAIに丸投げする「校正」の部分にかかるのですよ。
「自分でやる必要が無い」と思ってるからAIに投げるのですよね?
私は校正も、他人にやらせるなんて絶対イヤで、勝手に自分の文章を一文字でも一行でも変えられるのが嫌なのです。というか、そのたった一行の行間が詰まっただけでも、自分の理想の「間」を崩されたりすることがある、そういう感覚が分かって来たからこそ、触られたくないのです。
私も最初からこういうのが分かったわけじゃなく、
文章を書くのが上手くなった後も、やることはいっぱいある!😊と気づけるようになってから、分かって来たのですが……。
自分の文章を見て「余計なもの、余計じゃないもの」「もっといい表現」そういうのを探したり、思い浮かべたり。
そういうことを出来るようになるのが「上手くなったからこそ分かるようになった」のだと思うのですよね。
つまり校正というのも、自分自身の文章を「自分の目で」確認し、見極め、もっといい表現はないか、考える、非常に大事な能力を鍛える作業の一つなのです。
でも下手な人やアイディアを出す才能が無い人ほどAIを使い、AIの補助を受けて、「校正はお前がやっておいてくれ」と「校正」をものすごく軽んじているのですよ。
なんなら「校正」することで、
文章力とかが鍛えられるのに。
ウェイトトレーニングをせず薬を飲んで手っ取り早く体質を変えるドーピングと全く同じですわ。
結局中身が全く鍛えられてない。
鍛える機会を、自分で台無しにしてる。
まあ結局は他人のことです。こういうのは。
自分が自分のことをすればいいので、
他人がAIをどう使おうと、根っこの部分では私はどうでもいいと思っています。
……が。
一番の悲劇はこの風潮に乗せられて、貴方は使う必要が無いくらい才ある人でしょと思う人まで、なんとなく、AI補助利用とタグをつけなければならないほど利用しているのは、勿体ないなーーーーと才ある人間を非常に愛するスポーツ愛好家の私は思うわけです。
信頼する作家さんとかは皆さんそれぞれ個性と才があるので、そんなんいらん人たちだと思うのですよ。
「校正」「吟味」のことを突き詰めて考えると、
やはり
AI補助利用もかなり書き手の感性を研磨する機会を奪うことになるなと私はそういう予感がするので、
上手な人や才ある人がちょっとでも使っちゃってるのは逆にそうか……って残念に思うことが分かり、
好きな作家さんがテンプレ系を書くのは全然気にならなくても、
こっちの方はものすご気になるので、
勿論才能の無い選手が才能ある選手にはどんなドーピングをしようとなれないという論理をよく分かっている私は才能ある人は結局そんなには依存してないことは作品見れば分かるのですが、やはりちょっと残念なのです。
才能あるからこそ、あなたはそんなことしなくていいそんなことしなくていいって思ってしまいますな😊 まあスポーツ愛好家ならではの感覚でしょうか。