ヤスぽろさんの
【Under the Same Sky ― 圭と蓉 ―】
を読み直しているのですが、
第13話Echoes of the Riverで蓉さんが「(私の好きな)桂林の景色を圭さんに見せたい」と言うシーンがあるのです。
私は元々「大好きな景色を大好きな人と一緒に見る」ということが大好きでした。
自分がいいなぁと思う景色を誰かもいいなぁと思ってくれたら、すごく心が繋がったというか……幸せな気持ちになりませんか?
多分そうだろうなあと思っていたので、大好きな景色を大好きな人と見ることに昔からなんか憧れがあるのです。
しかし残念ながら私は人生において大好きだった人と、
全く趣味が合いませんでした。
性格も、好みも違う。
この人に認められたり共感されたことが私は一度もなかったのです。
私はいい風景を見るとずーーーーーーーーーーーーっと何時間でも眺めて居たいタイプなのですが、大好きな人は「見るのはいいが十分も見れば十分。素晴らしいものは山ほどあるのだから、どんどん次々見て行くべきだ」という考えなので、ずっとそこで眺めていると「いつまで見てる」「他のことしろ」とすぐ注意して来ます。
つまりその人の心にはそんなに響いていないのですね。
私は建築物も、自然の風景も、可愛い海外の街並みも、美しい異国の風景も、寺社も、教会も、図書館も、海辺も、山の風景も、本当に風景というものが好きなのです。
色んなところを共に見に行きましたが、
「なんかいいねぇ……✨」
と大好きな人とまったり眺めたことがありません。
それどころか「こんな所よくある」「田舎臭い場所だ」「普通の景色」「いいと思わない」大概批判して来るのです。写真に撮ると「お前は写真の撮り方がヘタクソ」とこき下ろされます。
最初は「そう……」と私は私の見る目がないんだなと思うようになり、あんまりその人の前で風景がどうのとか言わなくなりました。写真も撮ればヘタクソだと言われるので全く撮らなくなりました。
でも段々と世界が広がって行くうちに私は気づき始めたのです。
「このひと、景色に興味が無いんじゃない。私を批判したいだけなんだ」と。
私がいいと思うものを、すべてこの人はいいと思わない人だったんです。
そういう人と一緒にいても自分の全てを批判されるだけですから、当然段々と離れて行きますよね。
別の人と数多く付き合うようになって、
答え合わせが出来ました。
普段仲いい人とそういう場所へ見に行くと
「なんかいいねぇ……✨」
「うん なんかいい……😊✨」
と話が通じるのです!!
「自然の風景もいいけど何気ない街並みもいいよね」
「わかる!! カフェとか喫茶店とか見てると幸せになる!! 今度街の可愛いカフェの外観写真撮りに行かない!?✨」
「行くーーーーーーーーーっ!!!🥰」
話が通じるのです!!!
そして繋がる!!!
普通の人とは通じるのです!!
私が見る目がないんじゃねえ!!
私が「好きだ」と言ったばかりに私が好きな景色たちは私を批判するだけが目的のあいつにこき下ろされてしまっていただけなのです!!!
すまん!!! 私が好きだと言ったばかりに!!!
私は見るのも嫌になってしまっていたそういう風景を自分で一人で見に行きました。
やっぱりなにかいいなあと思い、
思った場所を写真に撮って持ち帰りました。
気の合う友達に見せると、すごくいい場所 いいね!✨と無茶苦茶彼らは喜んでくれました。
私は大好きだったそいつを二度と信用しなくなりました。
会うことも少なくなり、
ある時本当に数年ぶりに会うことがあったのですが、
ある場所を散策した時に「○○(自分の住む街)に比べたらやっぱここはどこか田舎臭い」と言ってきました。
「どんな風景が好きかなんて人それぞれ。お前が勧めた景色も私は見て来たけど、いいと思わなかったものなんてたくさんある。それを一度でも私は「つまらない」とか「大したことない場所だ」とか言ったことがあるか?
私も言わないからお前も言うんじゃねえよ。
私とお前は趣味が合わねえんだよ。
だから同じものを見ても全然楽しくならない。
お前本当に私に対して文句ばっかりだな。
そんなに私として一秒も楽しくねえならいちいち会おうとすんじゃねえよ。
あとお前が田舎臭いっつったここは私がお前の住んでる街よりも大好きな風景がいっぱいある街だ。私の前で批判すんじゃねえ」
と人生で一度もそいつに言ったことないくらいの口調で言いました。
当然私にそんなことを言われたことがほぼ無かったそいつは驚いた表情をして閉口していましたが、
以後私はそいつに○○に行こうとか言われても「行かん。趣味の合わん奴とどこへ行っても何の感動もない💢」と一切付き合わなくなりました。
でもおかげで自分を批判されることが格段に減り、
ストレスが軽減され、大好きな風景を一人や、気の合う人と見るとこんなに幸せな気持ちになれるんだということに気づけたのです。
それ以来「大好きな風景は大好きな人と見る」「大好きな風景を共感出来たら、それはかなり大きなポイント✨」という印象を受けるようになりました。
こういう事情から、私は作品内でも「大好きな風景を大好きな人と眺める」シーンが好きで、多用しています。
【ジグラート】ならばヴェネツィアの干潟の風景。海の風景。
【花天月地】なら長江近郊の風景。
【アポクリファ】なら街の夜景。
【翡翠】なら草原や、聖堂など。
想い合うキャラが共に眺める風景シーンとは、
本当に素晴らしいものです。
胸に来るものがあります。
そして不思議と、
例えその二人が想い合ってないないとしても、
共に同じ風景を眺めながら話しているだけで、
なんとなく傍から見て「仲良さそう🌸」と思うことありませんか?
そうなんですよ。
あんま気の合わない二人って
同じ風景を時間掛けては眺めないのです😇
まあ気が合わねえからな。
一緒にいても楽しくないんだわ。
当然の心理だな。私も分かっちゃいるんだが、その時は大好きだったから何とか自分を大好きになって欲しいって子供心で盲目になってたんだよ
だってほら同じ風景を「いいね~!✨」って思って笑い合えたら、無茶苦茶心が繋がったような気になれるじゃない。多分そうなりたかったんだな。
あれこそ若気の至りだな
まあ人生における幸せも不幸せも全て作品の糧にして供養するのが私の信条です。
「同じ風景を眺めて、それをどう思うか」
で、キャラの親密さ、そうでなさを表現出来ることを私は身を以て会得したわけです。
非常に今でも悪夢に見るほど最悪な時期の体験ですが、創作において【場所と人間関係】を結び付けて描写する能力が身に付いたと思えばラッキー✨と思えます😊
そんなわけで私はものすごく【場所】を利用して人間心理描写を結び付けて描く手法が好きで、また見抜く能力にも長けています。
この作者【場所】をすごく意識して書いてんなとか分かるとやはりお気に入りになりますね。
皆さん多分自分は【場所】を書けていると思っている人多いと思います。
でも何というかな……違うんですよ。本当に作品に組み込んで書く作者ってただ場所を書いていないのです。これは海外捜査ドラマ仕込みの私の感性で読み取れるのですが、現場の刑事とかはすごく「場所」を見ますよね。
場所に意味を見出すのです。
つまり、場所を描くということは、
場所に意味を宿らせること。
【場所を書いただけでは場所を描いたことにはならない】
のです。
私はそう思っていますね。
むしろ意味を宿らせて初めて場所が特別な意味を持つ。
事件が発生した場所。
犯人が向かう場所。
何故その場所なのか。
被害者の家をもう一度見に入った時に写真の風景とかで犯人の手がかりとか発見することあるじゃないですか。
私以前こういうシーンに「最初から気づけよwww」などと言ってる視聴者見たことあるんですが、違うと思うんですよね。
一番最初に事件現場に行く。
初見として見る。
そこには必ず見落としはあるのです。
その見落としというのは、見える物と見えないものがある。
見える物は少なくとも見えるのですから見落とすことは許されないと思います。
しかし重要なのは「みえないもの」。
これは事件を捜査していくうちに徐々に分かって来る人間関係や証言や、そういったもので、「見る能力が備わって行く」のです。
被害者のことも犯人のことも何も分かっていない状態で入った事件現場などで、【勘が働かない】のは当たり前のことなのです。
だから「一番最初に気づけよwww」という嘲りは的外れなのです。
一見無関係に見えた犯人と被害者の繋がりが分からず、
もう一度被害者の家を見に入ってみようという心理は、私にはよく分かるんですよね。あれは理に適っているのです。RPGで言うと勇者がレベル1でその場所に行っても何にも起こらへんが、レベル50以上で五つある伝説の武具を全部集めて行けば封印が解かれて何かが起きるみたいな奴です。
【旅】が必要なのですよ😊 刑事にも。
捜査して、犯人とみられる痕跡を辿り、それでも姿を捉えきれなかった時、被害者の家に戻ってもう一度じっくりと壁に飾られた写真の中に、犯人と思っていなかったけどある人物の家に飾ってあった写真に映っていた建物と同じものが映っていたりした時に、勘が冴え渡りその時初めて「見えなかったものが見える」のです。
人が場所を訪れると、
ほとんどの人は通り過ぎるけど、
その場所に何かを感じる人がいればその人にとってその場所は特別な意味を持つ。
こういう場所と人の描き方が私はとても好きで、
書くにも多用しますし、
読む時もついつい見てしまう部分ですね。
こういう部分しっかり描かれていると嬉しくなるなぁ😊
ヤスぽろさんのとこの圭さんと蓉さんの素敵なデートシーンの感想がなんで殺人事件の捜査の話に繋がったのかは定かではないですが、
そうです!!
要するに!!
創作において【場所】はとても大切なのです。
場所の描写は!!
そして場所を描くということは単にこんな場所~という説明しただけでは書いたことにはならない。
何故その場所なのか!
誰とその場所なのか!
場所が意味を持った時に初めてしっかり場所を描いている作品だな、と思えるようになるわけです。
大好きな人と、一緒に同じ景色を見れることがどんなに幸せなのか。
私自身この気持ちすごく痛いほど分かるので、
「圭さんと桂林の風景が見たい」
と言った蓉さんの気持ちがすごくすごく伝わって来るし、
大好きなんだなあ……✨という想いが分かるのですよね。
カクヨムを読んでても皆さん気張って素晴らしい話を書きたい!! という気概は伝わって来るのですが、気合入ってんのは分かりますがちょっとだけ覚えておいていただきたい。
別に大層なエピソードの末大恋愛しなきゃいけない理由もないですし、
この人のことが大好きだ!! と表現するためにいちいち清水の舞台から飛び降りる必要は必ずしもないわけです。
些細な表現の積み重ねで、深い愛も表現出来るし、
「どういう時に人の心が動くか」を把握していたり、自分で実感していれば、本当に何気ない出来事でも「このキャラこの人のことが好きなんだな~~~~~😭✨」と死ぬほど伝えることが出来たりします。
「圭さんと桂林の景色が見たい」
ヤスぽろさんの話は転生した人にしか分からないようなものではなく、自然な空気に包まれていて、誰しも分かる共感や、想いが随所に散りばめられています。
このセリフに私が特に印象に残ったのも、私の実感あってこそ。
でもこのセリフを「いいなぁ~✨」とそこに宿る意味を見出し、心の底から実感出来る感性が培われたと思うならば、嫌な過去の経験も、あってよかったものだと少しだけ肯定出来る気がします。
この世で一番大好きだった人と一度として大好きな風景をいいね~✨と共感出来なかった私だからこそ、人一倍このセリフに惹かれて幸せを感じることが出来るのでしょう
作品を読むには、こういう自分の実感が揺さぶられるかどうかがキーなんですよね。
文章、上手い方います。
一生懸命書き込んでる。
それは分かる。
でもなんか揺さぶられるものが存在しない。
そういうのも悲しいかな、あるのです。
残念ながら私は「読み手」としてもかなり玄人で、
悪くない文章力で紡がれていても、自分の中の実感を揺さぶられない作品が存在します。
これは私の実感と同時に「好み」に分けられる分類なので「あんたの文章下手」とは違う領域にあります。
だから私は口にしないようにしています。
つまり「このシーン、こういう展開にして欲しかったな~~~」ってやつです。
口にしても仕方ないですもんね。
相手だって何か理由や実感や好みがあってそういう展開を書いてるはずなのです。真剣に書いているのならば。
そういうのはやはりその人の聖域に関わって来る話なので、私もあまり触りたくないのです。触れたら傷つける可能性があるし何より「そもそもそれが私にとっては価値がある。貴方にはなくても」みたいな話になったら絶対に分かり合えません。
しかし他人の聖域というものは、別にそれだけで素晴らしいとは限らないわけです。
ただひたすら、他人が触るべきものじゃないというだけ。
触れなければ尊重したことに十分なると思います。
若い十代前半の書き手が、凄い話を必ずしも書けないというわけではないですが、「まだ」書けない傾向があるのはちゃんと理論があります。
読み手は自分たちの【実感】を揺さぶられた時、その作品に一歩踏み込んで「このシーンいいな……」「この描写美しい」「なんか心に残る」と共感を覚えて好ましく思います。
十代前半の書き手は十数年しか人生を生きていません。しかも現代は異世界ファンタジーではないので大概義務教育の檻に押し込められている人が大半です。
読み手はほとんど年上で、例え20歳の人が読んでも遥かに色んな人生における【嬉しい実感】【悲しい実感】がその人の中で固まって来ています。
自分の【実感】を以て文章を書く経験値が低い作者が、実感の経験値の高い読み手の心を揺さぶられるのは非常に理に逆らっており、困難なのです。
しかし現代においては三十歳になっても四十歳になっても未熟な精神の人は多く、自分がどんなことを好きか、嫌いかさえ他人にきちんと説明も出来ないような大人も驚くほどたくさんいます。
その点、十代前半の書き手が圧倒的不利とも言い切れない気がします。
読み手にも実は「読みとる力」は必要であり、
その力が欠如している場合は上手い人の文章だろうが十代前半の文章だろうがその人には同じに見えるでしょう。
優れた書き手と、
感受性の高い読み手が出会った時、
作品の真価がより深い領域において掘り起こされて、
どちらも嬉しい!🥰 という現象が起こせるので、
「このシーン最高だ!✨」
という話全体よりも「このシーン」とか「このセリフ」とか、そういうものを意識して読むと自分の実感に触れられる読み方が出来るのかもしれませんね。
このシーンとか、このセリフ素敵だ、ということを言ってくれる読者って大切にした方がいいですよ。
これはつまりあなたの書く「実感」と読んでるその人の「実感」が一致してる可能性があるのです。
これはプロで言うと「この作者の描く物語なんか好き」と思ってくれるコアなファンと同じ心理なので、色んな文章の書く部分にその人が共感を持ってくれているのかもしれません。
結局何が言いたかったかというと、
要するに私は
「圭さんと桂林の景色が見たいです」
という蓉さんのこのたった一つのセリフを見ても、
「この作品はいい作品や……✨」
ということを一発で自分の中で自覚できるわけであります。
自分を知ること。
自分の実感を自覚すること。
これは優れた読み手になる為の重要な素質なのであります!🥰
たった一言、
しかもそんな着飾ったセリフというわけではありません。
でもこんなに心が揺さぶられる。
人の心にある実感に触れる文章を書くことがいかに大切かが分かる理屈だと思います。
実の所、みんなそんなにカッコつけた美辞麗句にばかり感動してるわけでは無いのですよ。
確かに気合い入れたセリフも必要ですが、
些細なセリフに作者の想いを込めることも非常に重要だと私は思いますね。
ヤスぽろさんはこの「些細なセリフに作者の想いを込める」っていう能力がすごく高いんだと思うなぁ。