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彼は何故、南へ行かなかったのか。

歴史小説を書いて楽しい時は、
最初は勿論大好きな、興味ある人物や出来事について書くことが目的ですが、やはり色々調べたりするうちに「こんな人がいたのか」というようなことに気づき、当初はさほど書こうと思っていなかった人を書いた時に、愛着が生まれ、書くことで新たに好きになったりする時です。


三国志の場合、私は【黄蓋】とか【龐徳】とか【賈詡】が今の所それにあたり、当初はこの人たちをこんなに書く予定はなかったのですが、この人たちのエピソードを作ったり考えたりしてるうちに、書きながらその経歴に非常に興味を持って好むようになった人たちかもしれません。

三国志を自分で書かなかったら多分この三人にさほど興味を持たなかったと思う。

でも今は興味津々です🤗✨

うちの【黄蓋】さんの活躍については【花天月地】短編【赤壁の戦い】でがっつりと書きました。若い主君たちを残してまず自分が最前線に出て来る所などが非常にカッコよく、勇敢さと、孫堅時代からの忠臣でありながら全く偉ぶったりしない人柄、若くして多くを背負っている、亡き孫堅の息子たちを気に掛けてくれる温かさ、この人の持つそういう部分は書いててとても惹かれました✨

大一番で最も危険な持ち場を引き受ける豪胆さも素敵です。

こういう人がいる軍は、やはり強いんですよね。


【賈詡】の活躍については魏編全体で賈詡が活躍多発していることからいかに私がお気に入りか分かっていただけると思います。賈詡はなんといっても史実でも77歳という長寿なのがカッコよく、しかも降将、曹操の息子さえ死なせているほどの相手にも関わらず、曹魏でも重用されたことから、いかに冷静で理知的な人間か分かります。

三国志を書く前までは賈詡といえば「女にかまけた曹操を討ち取りかけた人だー」という印象でしかありませんでしたが、賈詡の興味深さはむしろ曹魏に降ってからの生き残りのポテンシャルの高さであります。

興味深い。
非常に興味深いです。

あまりベラベラ喋るタイプではなかったらしく、あまりプライベートや彼自身の人柄を語るようなエピソードが残っておらず、にも拘らずものすご長く生き続けている感じが謎めいていて、そこがカッコいいですね。

早世した才能、郭嘉と真逆な感じの経歴がおもろいので、つい郭嘉とよく話をさせたくなってしまいます🥰




黄蓋と賈詡はすでに書いて好きになっているキャラなのですが、


【龐徳】さんです


【龐徳】さんは今現在色々考察している人で、とても興味深く、考察した時点であんまり魅力を感じなかった場合は私は書かないのですが、この人はやはりちょっと書いてみたいなと思っています。


皆さん【龐徳】知っているでしょうか。

元々は涼州出身で、馬超の父、馬騰などに仕え、つまり曹操とは対立した勢力に属していて、馬超もそうですが、無茶苦茶強い武将だったそうです。

以前【馬岱】のことを書いた近況ノートで語ったように、つまり複雑な涼州と曹操軍との戦いのゴチャゴチャを、つぶさに見ていた人物の一人。

しかし何と言ってもこの人が面白いのは、


【馬超と共に劉備の許には行かなかった】


ということ。

このあたりからこの人の考え方を察するに、龐徳は涼州の武将として涼州の地に非常に思い入れがあり、「下るのは人生に一度きり」と己の中で決めていた人なのではないかと思うのですよね。

馬超も涼州に思い入れが深い人ですが、劉備の許に行った後は曹操の恨みというよりもそこに居場所が出来、徐々に怒りと恨みばかりの人生が変容して行っている感じもします。

龐徳は曹操に下り、魏将として生きることになりますが、樊城の戦いでは過酷な戦場環境の中(豪雨で水没する土地に取り残された)孤軍奮闘。
敵対するのはあの、関羽であり、最終的には奮戦しましたが捕縛され、関羽の前に引きずり出されます。

注目すべきはこの時、関羽に降伏を勧められた龐徳がぶち切れて「私に降伏など説くな!!! 私は死んだとして賊将にはならん!!!!!」とこれを拒否、全く1ミリたりとも説得できる隙間がなく、やむを得ず関羽は龐徳を処刑するしかありませんでした。

一体この時、何故龐徳が関羽に対してこれほど、命などどうでもいいほどに激怒したのか分かりません。

考えられるのが
①この世で一番愛すべき涼州から離れ、魏将になったが、その時にもう2度と主を違えたりしないという誓いを立てており、関羽が「こいつ一回降将になったんだからまた降伏するやろ」などと思って声を掛けて来る感じに侮辱されていることを感じ、激怒した

②劉備に少しも心が向いてない。のにも関わらず関羽が劉備を賛美することが無茶苦茶腹立った。

③関羽自体に嫌悪感があった。

この3つのどれかのような気がします。
書き始めるまではこのどれかかまだはっきり私の中でもしていなかったのですが、今のところは結局、②なのかなとは思うのですよね。まあ①もある気はする。

一度降将になること自体は、この戦乱の時代そんなには糾弾されることは無かったように感じますが、一度だけと、二度も三度もあることは天と地ほどにも違っていて、
やはり一番最初っていうのはある意味いい君主に会えるかどうかは運があるのです。
孫策なんか見てると分かりますよね。
あれで袁術を生涯主君として敬え、そこから君主を変えるなというのもなかなか残酷なものがあります。

張遼などもそうですが、

元々自然の流れで属することになった部分が多い面と、

そこから自分の意志で誰か別の主君を選ぶことは、やはり少し異なった捉え方をされる気がします。

後者の方は「初めて選んだ」に入り、降将のイメージが薄いのではないかと。

龐徳は涼州出身で最初はその涼州の為に戦っていた人です。
国に属していなかったので、戦乱の世を生きるうちに、曹操こそ仕えるべき主君だと感じ、彼の許に行ったのかもしれません。
馬超も同じだと思います。彼らは選んだ相手がただ違うのです。

だから龐徳は初めて主君を選んだつもりで曹操の許に行って、自分では恥じることは何一つなかったのに、もしかしたら関羽がこの時に何か、龐徳のそういう汚れていない誇りを傷つけるようなことを言った可能性もあります。
降将経験者として龐徳を扱ったのなら、確かにものすごい強い人だったようですからね、矜持を汚され、関羽を憎み、その関羽が仕える劉備の許に行くくらいなら死んだ方がマシだと思ったのかもしれません。

曹操への忠義というより、私は若干関羽や劉備への強い嫌悪感を感じる反応だなと感じる部分が非常にこの【龐徳】という人が興味深いのです。

三国志演義と言えば何度も言うように関羽や劉備に肩入れが酷いので、こいつらに敵対する奴らは多くが悪いように描かれている中で、龐徳は史実でも演義でも、関羽だろうが劉備だろうが知ったこっちゃねえ!!!みたいな描かれ方してるのが、前も言ったように関羽や劉備を取り巻くアンフェアな空気大嫌いな私としては大変清々しく感じられ、

特に樊城の戦いに龐徳さんが見ていた景色、
心に強く思っていたもの。

そういうものが何だったのかにはとても興味が湧きます。

私はもしかしたら龐徳さんは劉備の生き方がとても嫌いだったんじゃないかな……と思ったりもします。その時々の状況で方々に属し、逃げ回り、最終的には蜀の地に落ち着いたけど、アンフェアな人たちはそれを「奇跡」だの「天に選ばれている」と言う人たちもいるかもしれませんが、たった一つの場所で強大な曹操軍と戦い続け、仲間を失い、それでも一人で行く場所を選んで来た彼にとって、最も自分と相反し、信奉できない生き方をしていると感じたのが劉備だったのでは……と思ったりもします。

劉備からすると、この人は最初からどこかの土地の豪族に属していたわけでもなくたった一人でふらっと山奥から出て来たわけであって、色んな人の力を借りなくては生きて行けなかった人だから、色んな人の世話になってるのは致し方ない部分はあるかもなとは私も思ってそれ自体を卑怯だとは思わないのですが、

確かにね、ちょっと相容れないんですわ劉備と考え方が。




さて、前置き長くなりましたがそんな龐徳さんをよし……気になる人だから書いてみっか! と決断したエピソードが【花天月地】第80話【悲しみの果て】です。

韓遂と話している龐徳の回想シーンが出て来ます。

私が龐徳にあんま興味ない場合、こういう回想シーンは書きません。回想シーンというのは人物像を掘り下げるために使うべきです。興味の無いキャラを回想する必要性はありません。このことから、私が龐徳について一回ちゃんと自分でも考えてみたい気になっている展開が伺えます🤗

韓遂が劉備に対して「私は何故か、あの男は好きになれん」と言っています。

劉備というのは流浪時代が長いので、関羽や張飛や趙雲といった豪傑が「なんであんな奴に仕えてんだろ?」と思います。逆説的には彼らがそばを離れないのだから、余程劉備には魅力があるんだろうと、そういう【逆説的】に劉備の人徳説は証明されるのですが、


湖面に映る実像と虚像のように、

逆説的に語られる人柄を虚像とみて、信用しない人もこの世にはいます。
実は私もこっちの疑い深い性格であるので、

だから劉備にあまり魅力を感じない理由です。

「私は何故か、あの男は好きになれん」

というのは私自身が劉備に感じ続けている根本的な問いで、
こういう理由で好きだ!! と自分がある時思えればその答えとなってまた見方が変わるのでしょうが、今の所なんか好きになれんのですわ。

劉備はつまり
「よく分からないが無性に惹かれる」人と
「何故かは分からないけど妙に好きになれない」人に
分かれる人なのです。

私自身が後者なので、どうも、同じく後者っぽい感じがある龐徳さんに興味が非常に湧きました。彼を書いていれば、もしかしたら「何故かあの男は好きになれん」理由がある時分かるかもしれませんね。


龐徳が樊城の戦いで奮戦し、関羽の降伏の勧めを拒否し処刑される展開とても私はカッコいいなーと思って好きなので、今の所この史実の流れは尊重するつもりで書いて行けたらなと思っていますね。

よって今の所うちの龐徳さんの最後の戦いは【樊城の戦い】だと定めています。

勿論これから【樊城の戦い】については色々イメージ固めていくので、大きく描き方が変わる可能性は含んでいますが、龐徳は戦乱の世を戦い抜いた武人として、とても興味深い人生を送っているのは確かです。


本当に最後、関羽にぶちぎれて居るのですが、一体何がそんなに龐徳を怒らせたんだろうか。興味ある……。


恐らく関羽が言った何かなのだと思うのです。

前も書いた通り、

人間には【心を砕く言葉】というのが人それぞれあって、それを言われるとその人の人生を「終わった方がマシ」と思わせてしまうほどの言葉が存在します。

もしかしたら関羽はこの時龐徳を説得し、命を救おうという意図があったにせよ、自覚の無いうちにこの【龐徳の心を砕く言葉】を言ったのかもしれないな……と思ったりもする。

普通の人は心を砕かれて意気消沈して死んでいくだけですが、

龐徳は非常に強い、涼州軍随一とも謳われた武将であったため、嘆き悲しむよりも【怒った】のかもしれません。


そうなんですよ。

心の強い人は傷つけられた時嘆き悲しまないんです。
彼らは怒る。
そして怒ることで、それを敵に立ち向かう力にするのです。
そういうのが彼らの凡人とは違う部分なんですよね。


ただ私は何度も言いますがスポーツ愛好家なので演義ベースのアンフェア嫌悪主義です。

龐徳を描きたい一方、彼の心が関羽に最後砕かれたというのも無性にムカつく感じがするので、龐徳の最後は何か関羽や劉備には触れられないほどの聖域に彼の心は守られていて、龐徳が拒絶する強さと迷いの無さなどを特に丁寧に描きたいと思います。

それを考えると「張遼が目を覚ました」という報せに「ようやく希望の光を視た」というこのシーンは非常に重要であり、

この光が多分最後の最後まで龐徳の心を守るものになって行くのではないかと考えています。


そういった意味ではこのエピソードは龐徳をちゃんと描くにあたって非常に後々効いて来る重要なエピソードになります。


面白いのが賈詡が「龐徳にはあまり期待していない」とこの時点で言っていて、
郭嘉が「龐徳は(張遼が重んじたので)味方に引き入れろ」という立場を取っていること。

これにより【樊城の戦い】の龐徳さんの勇姿を見て賈詡先輩が「あいつがあそこまで戦うとは思わなかった」と度肝を抜かれるフラグが立ちましたことここにお知らせしておきます🥰

こういうエピソードの種を今のうちにたくさん植えておくんだよ🌱
伏線ではなく、種です
伏線は伏したことも見えないのが地雷のようで嫌な感じするので私は好みませんが、
何か後々の素敵な展開の【種】になるものは植える姿をちゃんと見せて描いていいのが好きで、私は多用します。
見せているので伏線では無いのですよ。

しかも何を植えたかも見えているので、「いつかこれが花になるのかなー🌸 楽しみー🤗」などと思えるところが非常に素敵なので秘技【種を植える】、皆さんもよろしければお使いください。

伏線は作者の意図で読み手を無遠慮に吹っ飛ばす地雷感があり、私は好きでは無いのですが、

種は読み手と一緒に「張遼さんと龐徳さん、最近一緒に飲んだりして随分仲良くなれたなあ」なんていう育っていく過程が楽しめますので、よりナチュラルな感じに読み手の心に働きかけられる優しい感じが私は好きな手法の一つですね🌱

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