長編を書いていて、書いているうちにキャラが多すぎる、或いはわき道にそれる展開が多すぎて本筋を見失い「とにかく連載を続ける」ことだけ長く引き伸ばすことだけが目的になって、私のような読み手からすると「完全にこれ作者が行く先を見失っとんな」と伝わって来る作品があるのですが、
なぜそのようになるのか、何故そんなものを人間が書いてしまうのか、自分なりにじっくり考えてみたのです。
私が読んで、「長編でキャラが多くてもキャラの書き分け、キャラの個性、キャラ一人一人が見えて来る」と、
「明らかに多いキャラを扱えてない。キャラに課すエピソードも内容が薄く、ほとんどが無くていい話。本筋と外れているが、ダラダラと話をどうでもいい内容で伸ばしてるだけ。キャラは出て来てもほぼみんな印象に残らない。誰がどのポジションをやっても同じ。代わりが山ほどある精密な機械の部品のようなキャラと主要人物数人しかいない」
と見えてしまう違いは一体どこにあるのか。
かくいうワシも下手な時代こういう「やたらキャラだけ出て来て中身の無い話」を作っておったな……あれは一体いつの時代であったか……などと黄昏ながら星空を見上げていたら、美しく瞬く冬の夜空にふと言いたい言葉が形になって来たのです。
キャラが多い長編小説でも、キャラの書き分けや、キャラ同士の心境交換などがきちんと書けていると思う作者は夜空で言う【星座】を書けています。
思い付きでキャラをどんどん出し、ほとんどうまく扱えず、結局主人公と数人の話になって深みの無い話になって行く人は、キャラというものを満天の星空の、星のどれかとしてしか描けていません。
つまりどういうことかというと、【キャラ性を引き立たせる】ためにはただ新登場させたり、能力や個性や服装の奇抜さを張り付けて登場させても、全くインパクトにはならないのです。
少なくとも私は作品における人間関係を星で言うならば【星座】、ジグソーパズルでいうならば【小コロニー(全体の一部の模様などを完成させたもの)】で捉えていることが分かりました。
例えば三国志で【荀攸】という人が出て来ます。この人を大きな一言で書くならば「名門荀家の一人。荀彧の年上の甥」でしょう。
しかしこれだけ書いて放っておくと読み手はすぐこの人のことを忘れます。
何度か曹操や荀彧と話している描写など書いてもそれはこの人の「人柄」を語ってはおらず、話すだけでは読み手のインパクトには残りません。
現実の人間関係だって「どうも七海ポルカですー」って挨拶をし、ただ流れ作業を黙ってやる存在だったら、実は三年経っても「この人ってあんまり分からないな?」の状況に出来るのです。
キャラ一人一人の印象が薄い人は、これをやってます。
確かに挨拶もする。たまに喋る。だけど仕事の範疇であり、その人の個性「週末何してるの?」とか「実家は道場」などという聞いて「えっ!?✨」てインパクトに残るような話をしていないと、下手すると五年だろうと十年だろうと「同僚だが、あまりどういう人か知らない」という人はいるんですよ。
つまり、人間が人間を認識するためには「挨拶をし、当たり障りの無いことを話しただけ」では大したインパクトにならないのです。
「この人はこういうことをする人なのか」と知った時に自分個人の
「この人は好きだ」
「この人は嫌な人だ」
という判別が出来る。
そうです! 読み手自身がキャラの行動に自分の感情を引き出させたときに、
認識という天秤に初めてそのキャラが乗る。
言動によって好き嫌いの針が振れる。
それによって「印象に残り、好きか嫌いかさえ感じることが出来る」ようになるのです。
キャラの印象が薄い人は本当に「よく分からない同僚」感が強い。
それは一度見上げた満天の星の中で瞬きしただけでもうどれか分からない「星」であり、一かけらを手に取って見つめても全く1000分の1のどこのどのピースか分からない、パズルの1欠片でしかなく、判別と認識不能なのです。
これをどうやったら判別と認識不能から「七海さんって面白い😊」に描けるようになるのか。
人間の判別と認識については上記の通りですが、
描き方としてはやはり【横のラインを意識する】ということです。
キャラの書き分け上手ではない人は、新キャラを主人公やヒロイン、その周辺の数少ない主要キャラだけに関連付けて「描いた、登場した」と思い込んでる人がいますが、
工場で言うといつも工場長に挨拶して新人が入って来ても工場の一番の奥の区画で入った人にはほぼ挨拶した人がどんな人なのか分からないものです。
そういうパターンが固定化すると新キャラは一様に「主人公やヒロインとなんか話してた人」としか読み手は認識しません。それが何人も何人も出て来る。
「なんかこの話新キャラいっぱい出て来るけど全員個性無いな……」
になるの当然なんですよ。
掻き分ける為には主人公やヒロインとの関係性ではなく、【横のライン】を結び付けることが大事です。登場ではなく【人間関係の拡張】ですね。
うちの【荀攸】さんは勿論年下の叔父にあたる【荀彧】に強く結びついていますが、
花天月地第76話【流星を待つ】で、彼が董卓時代、董卓に実際会ったことがあること、何顒(かぎょう)という友人がいたこと、その後董卓に謀反を謀り、投獄経験があることが描かれます。
この中に【荀彧】の存在はほぼ出て来ません。
実は少年時代の【郭嘉】が出て来ます。
潜在的には【荀彧】が牢から救い出された荀攸を誰かに匿って欲しいと曹操に願い、曹操が郭嘉に「安全に匿える場所を探せ」と命じて荀攸をそこに匿ったことになっているのですが、
この中で何が描かれているかというと
①荀攸の過去
②荀攸が少年時代の郭嘉と会っていたこと
③共に董卓に立ち向かった友人何顒との思い出
④穏やかな人柄をしている荀攸が董卓を「必ず殺さなければならない」と感じる描写
これが描かれています。
【花天月地】76話です。
恐らくこの前にも荀攸はちょくちょくは出て来ているのですが、ほぼ単独で現われることは無く荀彧と共に出て来て、しかもあまり表立っては話したりしないので、この76話時点で「なんか荀彧と一緒にいる同族の人」程度にしか見られていないはず。
しかし私としてはそれでいいのです。
荀攸に76話まではむしろ、全然目立ってほしいともおもっておらなんだでしたので、放っておきました。
なんとなく、
いたなあ……。
その程度でよかったのです。
そうすることで尚更この第76話のインパクトを強烈にしたかったので。
恐らく【第76話 流星を待つ】を読んだ人は、うちの荀攸の印象が明確化し、それまでのぼんやりした印象と全く変わり、意志の強い人だということが分かり、心に傷を持っていることが分かるのです。
そういう認識を持つことに荀彧の年上の甥であることも曹操の軍師であることも、二大荀攸の説明として知られる条件も、一切使わずともこれだけのインパクトが出せます。
①②③④で描かれていることは
「荀攸」自身の交友関係。
その交友があった人たちに関して、荀攸がどのような感情を抱いていたかという「実感」です。
これがつまり【横のラインを書く】ということです。
【横のラインを書く】ことは交友関係とそれに伴う感情をちゃんと描くこと。
それでこの人の作品の中での立ち位置が確立され、明確になるのです。
つまりキャラを書くということは、
そのキャラの「周辺の人間関係を書いてあげなければならない」のです。
これが個性を描くことに繋がるので。
星も一つ一つは分かりませんが、
【星座】を見つければ構成する星の存在をいつでも、見つけることが出来ます。
・荀彧の年上の甥
・曹操の軍師の一人
・漢王室の忠臣で董卓に逆らい投獄されたことがある
・牢で友人の何顒を失った
・少年時代の郭嘉と交流があった
・子供はいないが妻と二人で穏やかに暮らしている人柄。
荀彧・曹操・董卓・何顒・郭嘉・奥様
これが、【荀攸】を星座のように見た時に構成する星々。
彼らを描くことで【荀攸】という星座が見えて来る。
こうすることでこの星々から、荀攸という存在の印象を引き出すことが出来て、上記6つの内容から「そういえばこういう人であった」と読み手は荀攸をしっかり作品内のどこに属する人なのかを認識できるようになるのです。
上手な人はそのキャラだけではなく、そのキャラをきちんと周囲と関連付けて登場させます。
だから迷子になったり印象薄くならないのです。
荀攸は【流星を待つ】までほぼ登場していませんが、
【流星を待つ】以後は色々と存在感も出すようになって来ています。
お披露目が済みましたからね😊これでこの人が単独で動いても読み手が「こいつあんまり印象ないキャラなんだよな……思い入れがないからそんな動き回られてもどうでもいいんだけど……」
などとなることがありません。
つまりまとめると長編でキャラが多いのに、「このキャラいらんやろ」「印象薄い奴ばっかり出て来るな」と思わせない作者は、【横のラインをちゃんと書いている】のです。
だから作品の中においてのそのキャラの立ち位置がよく分かり、立ち位置からもそのキャラが認識できる。
長編でキャラが多く「どいつもこいつも一緒に見える。特に思い入れが持てない」という作者は【横のラインを意識して書けてない】のです。
横のラインを意識して書けない作者が新キャラバンバン出すと致命傷になります。
人間は、【人間関係】で見せます。読み手に認識させる。
私もずっと前、かなり長く連載中の長編ファンタジーを読んでいましたが途中でやめました。やめた理由はこれです。主人公とヒロインは主人公とヒロインとして描けているのですが、次々出て来る新キャラがま~~~~~~~~~~~~~~~とにかく印象に残らなかった。主人公やヒロインとなんやかんや会話はしているのですが、その本人が普段どういうことをしていてどういう過去を持ちどういう方々と付き合いその人たちからどういう気持ちで見られているか、そういうことが全く書けてない作品でした。
全部主人公とヒロイン側からの描写なのです。
そして主人公とヒロインもさして魅力的に私には思えなかったので、ついにはもういいわ……とやめてしまいました。
ただもうこれ読まなくなるには十分な理由だと思います。
あの話をあのまま読んでいて何か私に得るものがあるとは到底思えませんでした。
新キャラの登場は本当に要注意です。特に長編小説の方!!
作者は作者なので自分のキャラに思い入れがあるでしょう。
私はそうは思いませんが、一説には作者にとってキャラは我が子、のような側面もあるようですから。
だから無条件に愛してしまったり肩入れしてしまったりすることがあります。
これは要注意です。
新キャラ作っただけで、出しただけで可愛いうちの子は読み手に受け入れられてもらえると思い込んでませんか?
そうではないのです。
読み手からすると新キャラは単なる知らん奴でしかないことを分かって置かないと。
読み手にとって新キャラなど可愛くもなんともないのです。
好きになってもらえるかどうかはそれから決まります。
他人の読み手から見ると、別に他人のキャラに「あら可愛いお子さんね」などと世辞で思ってやる義理はありません。読み手はそこまで作者の出す新キャラに「新キャラだ!!!✨」などと最初から心優しく期待など持っていないのです。
愛されるキャラに、
ちゃんと出した途端からしていかなくてはならない。
スタートした時はゼロ、もしくは「また新キャラ?」などともしかしたらマイナスからのスタートであるかもしれない自覚をちゃんと持ち、
新キャラがどんな人かをきちんと周辺のキャラとの繋がりの背景を描くことで、見せてやる。
これをしなかったり出来ない作者の新キャラは、私は絶対に愛されない、認識すらされない新キャラになると思っていますね。
私は勿論このあたり我が身を持って意識して修正して来た経歴持ってますので、無駄に新キャラなど出しませんし、新キャラ出す時の手腕は我ながら見事なものがあると自負しています!
新キャラの魅力的な出し方と読み手に認識判別してもらう描き方ってこれか~~✨と分かりたい方はどうぞ【花天月地】第76話【流星を待つ】ご覧ください。
例によって76話のくせに、一切三国志のことも前の75話分の内容も分からなくても、76話単独でも全然読める短編のような仕様になっておりますのでご心配なく!
例えとしては実はジグソーパズルの方が分かりやすいかもしれません。
ジグソーパズルは1000ピースともなれば、一欠片では車か窓かも識別できないほど世界になります。
でも6つくらいピースがくっつくと、コロニー化してお前何が描かれてんのかと思ったら壁かと思ってたがお花だったんかい!などと、そのピースが全体のどこの何の一部かを初めて認識出来るのです。
創作の人間関係もまた然り。
そいつを描くならそいつがどういう人間関係の一部であるかを書いてあげなければならないと思います。