https://kakuyomu.jp/users/misaya-volcom/news/2912051601054097402
https://kakuyomu.jp/users/misaya-volcom/news/2912051601248316086
問題の内容↑
私が批評を行う理由であり、新たな批評企画を開いた理由でもあります。
この近況ノートは、企画と同じく戒めです。
カクヨムに存在する多くの批評家の中に、一定程度不適切な言葉と批評基準を用いる方がいらっしゃいます。
代表的な問題点は2つ
ⅰ.側面から見た事象を全体的な課題と定義し、一義的になること
ⅱ.不当に社会的評価を損なわせかねない発言をすること
なぜそうなってしまうのか、私見と経験を述べます。
ⅰ.側面から見た事象を全体的な課題と定義し、一義的になることについては、自らを作品の読者とし、それを全ての読者に適用する点です。読者にはさまざまな要求があります。人生を代償するためにクオリティが高く人間ドラマの濃い作品を求める読者、隙間時間に時間を潰すために画面が流れ続けるほどの速さで流し読みをする読者など、需要はさまざまです。しかし彼らは、自らを代表的な読者像とし、その読者像から述べることが多いです。ここの何が問題かというと、読む行為そのものが自らを権威付けができる読みづらい作品に対して、読みやすさという評価軸で批評を行う点です。
ⅱ.不当に社会的評価を損ねる発言をすることについて、実際のものはほんの一例に過ぎず、真剣さや辛口、読者のためという基準を盾に社会的に逸脱した発言、名誉を毀損する発言をすることです。読者のため、という盾が用いられる場合が特に凄惨です。これで全くその通りであるなら口をつぐむのですが、別の観点から見る場合や、作品の目的から照らし合わせると疑問が生じることがあります。驚くべきことに、その批評基準となる読者モデルは自分自身のみ、という場合も多いです。
……と、ブランディングとマーケティングのための私欲な近況ノートですが、同じものを志す創作者のために力になりたいということに違いはございません。多くの人に知ってもらおうと努めることは、自らの目的に沿うものであるためです。
その批評企画↓
https://kakuyomu.jp/user_events/2912051599885054013