https://youtu.be/HwAPLk_sQ3w?si=KO-OQaViiTQ-6Fjqhttps://youtube.com/playlistlist=PLHovnlOusNLgvAbnxluXCVB3KLj8e4QB-&si=DI2IPMZRz8dirSTdこちらをご存知でしょうか。私が知っている中で、最も優れている人物表現が行えている作品です。
当然、動きはCGアニメーションを活かせるようなデフォルメはありますが、表情(眉、表情筋など)、目、口、手の動き、息遣い、体の向きなど感情にまつわるパーツは、全く現実の人間と同じです。嬉しさの中に混じる悲しみ、戸惑い、ストレス。怒りや悲しみの中に混じる期待、ストレスが完璧に表現されています。もしも、人型機械を社会集団へ溶け込ませないと殺される状況に陥れば、その機械への教材としてamazing digital circusを見せるほどです。命をかけられます。
また、象徴性の表現も劣らず素晴らしいです。私は普段、批評の時に説明を避けると没入感が増す、と伝えておりますが、まさにそれが実践されています。デフォルメ表現だと侮っていると、すぐに度肝を抜かれることになります。凄まじいです。
となってくると、私が最近開いた企画のおまけのおまけの内容について関連的に話したくなってきました。(意図的に、人の脳が食いつくような仕掛けを施したとはいえ、多くの方がおまけの要約ではなくおまけのおまけを要約[してないな……!?して……ないですよね……?もしかしてしていましたか……!すみません……]したことには、目を剥いて驚くにはあまりにも自然で、私にとってのこの大きな事件によりミスディレクションの理論を更新せざるを得ませんでした)
おまけの内容を一言で要約すると、「自分のしたい話しないで私が投げかけた内容と対話してね」でしたが、おまけのおまけは、ただただ原作と『近年の映像作品』における技術の有無を述べているものです。有無です。無いものと、有るものについてのお話でした。ここはミスディレクションとは関係なしに、その辺について強い興味関心、もしくは脳の発達領域的なアンテナがまだ開拓段階であるのだと、同じ創作に向き合うものとして着目する景色の形の違いにひっくり返りました。
私は作品表現に着目しているのではなく、その表現に至った作り手の考えたことに着目しています。
たとえば、無職転生では人物が棒立ちで数分間喋り続ける時、多くの場合周囲の環境物が代わりに描かれて、動きを担っていました(魔大陸でしたか……?生き物が動いていたり、景色、水が動いていたのを見て、制作側の気持ちにとても大きな感動を覚えました。これがなければ私は話が終わるまでスキップしていたか、手に持ったスマホの動画を再開していたでしょう)
原作ではやや弱かったです。台詞は連続しつつも、その連続台詞の間に文が挟まりますが、具体的な仕草は少なく、抽象的。感情の表現は台詞に大きな比重がありました。
タコピーの原罪では、願いや気持ちが星という象徴性によって説明が省かれていました。原作では出てきても1ページですぐ終わるもので、その象徴性よりも人物の心に強くフォーカスしたドラマ性だったので脇に押しやられていました。
アニメでは、ある程度の尺を使って目につく時間を増やし、そして情報として受け取りやすい長さと強度になっていました(星の使われ方はご存知でしょうか。テーマや問題解決の答えが現れた時に光ります)
んん……?あんまり伝わっていませんね……また独り言になってしまいました……涙涙
ただ、私の創作スタイルとしては、ここに着目して欲しいからその着目を促そう。というものです。今その地点から、アニメ映像に施された、その作り手たちの意図を自分の技術として獲得しようといろいろ考えたり、挑戦しようとしています。
では、あなた様のお言葉、ぜひ待っています。
ワンラリーの短い言葉で全く問題ございません。むしろその方が圧縮されていて(時間の節約的に)洗練されているような印象さえあります。
あ!アメデジは日本語で見てはいけませんよ……!英語音声にして、字幕は……鵜呑みはちょっと危険ですが、英語がわからなければしょうがないのでぜひ字幕で!原作語を!
あなた様の感想必ず聞かせてください!本気で!