企画
https://kakuyomu.jp/user_events/16818622173226575975フォロワー様のお目汚しにならないよう、例に漏れず以下に"おまけ"を。企画として以下の文があるのですが、これ全体が意味することを一言で言えば何になるのか、フォロワー様もクイズ感覚で当ててみてください。
おまけ
"意味すること"と「言葉」について
一般的な感覚との乖離が大きくなりつつあるため、その感覚を思い出すべく書いております。
いくつかある多数派のコミュニケーション方法の中に、言葉を文字通りに解釈する、より正確に言えば、人が意味することに注視してコミュニケーションを取るのではなく、文字が持つ一般的な社会規範に乗っ取った意味でのみ言語運用をされる人がいるらしいですね?それを念頭に入れながら進んでいきます。はじめに言いますが、日本やアメリカで親しまれる結論型の論理構造ではないです。
我々は映像ではなく、文字によって他者へ挑む者です。なので今回は、"意味すること"と「言葉」について、という前提をもとに、本質の有無と人のコミュニケーションについて論じていきます。
言葉に本質はなく、その逆も同じ。意味があるのではなく、意味を人が与える。本質とは人の観測による測定であり、人のコミュニケーションはその観測地点と使われる単位によって行われる。
言葉は全て、あくまで"たとえ"にしか過ぎませんが、ここまで"意味すること"を受け取れているでしょうか。
私は、自分自身を他者としても、受け取れています。おそらく、「哲学」が好きなら内容についてはよく知っているでしょう。ここまでの日本語が"意味する"のは、定義なくば人の意味するものは受け取れないということです。
物語とは、作者が意味することを読者として受け取り理解する行為、と言い換えられます。
なぜなら、物語の「言葉」とは作者の定義によって運用されている言葉であるからです。
『少年の日の思い出.原題Jugendgedenken.ヘルマン・ヘッセ著.高橋健二訳』より引用します。
"彼はランプのほやの上でたばこに火をつけ、緑色のかさをランブにのせた載せた。 すると、わたしたちの顔は、快いうす薄暗がりの中にしずんだ。彼が開いた窓の縁に腰かけると、彼の姿は、外のやみからほとんど見分けがつかなかった。 わたしは葉巻を吸った。外では、カエルが遠くからかん高く、やみ一面に鳴いていた。 友人はその間に次のように語った。
ぼくは、八つか九つの時、 チョウチョ集めを始めた"
https://youtu.be/5R-M0X5US-I?si=9ISEsgYSqc5QRk9o こちらの動画より、この文が持つ機能、意図が、12分15秒から14分25秒にわたって述べられています。
あなた様は、どちら側でしたか?
文字通りに言語を運用している人であれば、多くの受け手や、作り手ですらも、聞いている側の反応かもしれません。(話は少し逸れますが、彼は癖として、注意を払うときに口元を触る仕草が見受けられます。最初のその仕草の時、鼻に触れる仕草も見られましたが、鼻は、疑いやより強い注意、物事に対する検証の姿勢の表れです。言葉だけでなく事象そのものに意味が見出される、付与されることも今回の主題に関わります)
これが、先ほど申し上げたコミュニケーション→ その観測地点と使われる単位、です。
言葉とは、運用する人が前提です。そして、"ありがとう""ばか""ごめんなさい"など、すべての言葉は他者の存在が前提です。自己を他者として見なす場合がありますが、それでも、自己を自己としてはみなしていません。
「ひとごと」を「他人事」と読む(個人的な話ですが、語感が悪いので、聞くたびに顔を顰めるほど、私は「たにんごと」が耳に馴染みません)ことや、役不足にまつわる誤用など、言葉とは規範なくしては無限に発散するので(おのけのこが猫を意味しないように、そして陽キャ、陰キャが社交的な人、社交的でない人を意味するように)これはこういう意味である、という定義は大変重要ですが、コミュニケーションにおいては、それが意味することを受け取るのが重要になってきます。外国人と言葉を交わすとき、言葉通りのコミュニケーションはミスコミュニケーションを起こします。(disabled peopleか、people with a disabilityかで意味の強弱が大きく変化することなど)最も重要なのは、意味されることを注視してコミュニケーションを取ることです。同じ日本でも、文化の違いがあるだけで同じことが起こります。物語こそ、最たる例です。常にそれが何を意味しているのか受け取れなければ、コミュニケーションは成り立ちません。読み進められなくなるのです。(ラノベ文化では、自らの取れるコミュニケーションを相手から自分へ最適化されたような作りになっています。これがわかりやすさ、読みやすさという評価軸です。異言語を魔改造的な意訳によってスムーズなコミュニケーションを取れるようにしていると言い換えられます)
と……どこまで行っても、人という社会性前提の生き物は、コミュ力、対話力、人との繋がりを求められます。自分が生き物であることを忘れないでくださいね。
(胸が張り裂けそうです……)
おまけおわり