前回の続き☆お暇な人向け
小説とは『構想』と『設定』が大切なのでしょうか。
プロットが―!
設定資料集ガ―!
な人にとっては首が前に転がり落ちるほどに頷くでしょう。
意外かもしれませんが、
そこまでプロットをがちがちに固めない人や、設定資料集を作らない人であっても、「だよね~」くらいには賛同します。
――は?
出たとこ任せのお前らのそれは、プロットとは言わんだろ?
設定だと?
キャラの生年月日、身長体重、血液型、家族構成、髪の毛と目の色、くせ毛か直毛か、つむじの形とほくろの位置、詳細な生い立ちも決めてないくせに?(この瞬間、決めてない人たちはパクったキャラを動かしてる、ただの文字書き認定となり物語を書く資格すら剥奪される)
村の見取り図、街の全容、立ち寄る居酒屋のおやじの家族と履歴、大陸の地図、市場で売っている品々。
学年全員の出席簿、彼らのあだ名、好きなアイドル、それぞれの部活動と成績。
それらを最初に固めることで、そうすることで生身の彼らの声がきこえてくるのだ。
我々は、ちゃんと、キャラの星座、好きな食べ物嫌いな食べ物、50M何秒で走る、口癖はこう服装はこう、靴と服のサイズ、能力ランキング、それら記載したデータベースを下準備で作ることで、リアル感のある血肉をもったオリジナルキャラを一から『創作』している。
詳細な設定をすることによって、はじめて世界観とキャラにオリジナル性と血肉が生まれるのだ。
これこそ真の『創作』。
リアルに作ってます。
いいねいいね。
それで、そのリアルキャラ、アニメかイラストの外観をしてるんでしょう?
違う?
AIでちゃんとリアル人形を作ってもらった?
まあどちらでもいいけど。
血肉をもったキャラなら、そいつら作者の構想を無視して、好き勝手に動き回るよ。
当たり前ですが。
いいや違う?
作者が全知全能の神として構想から生み出したものなのだから、決してプロットで固めた以外の行動やセリフをキャラがとることはない?
だったらそれは『血肉をもったキャラ』じゃないよね。
ペープサートか何かなの?
せっかく詳細な設定を作ったのにぺらぺらじゃんw
そうじゃない?
どうも、プロットがー!身長体重ガ―! の人たちとは『血肉をもったキャラ』の認識が違うみたいです。
多分、彼らの脳内にあるのは、台本ありきの演劇、ゲーム、アニメ、漫画なのでしょう。
あのプロットです。
アニメのキャラは、静止画を集めて動きをもたせ、「コンテどおり」に走ったり跳んだりして、声優さんが「台本どおり」のことを口にします。
演劇でもそうです。即興劇でもない限り、人物の動きやセリフは台本に忠実です。
それは十分に伝えたいことを伝える手段になります。
実際にわたしたちは、演劇やアニメを見て、登場人物の訴えかけに感動したり、「あのアニメのテーマはすごかった!」と感心します。
演劇やアニメを作るようにして小説を書くタイプなら、このアプローチがよさそうですよね。
じゃあ、事前に詰め詰めのプロットや、世界設定資料集をつくっていない書き手はどうしてるのか?
第一章はこう、第二章はこう、ここで重要な伏線が入り、脇役が登場してこう喋る。ラストはこう終わると、最初にプロットで決めてないなんて信じられない。
それは『創作』ではない。
キャラだってそうだ。
鼻の高さ、耳の形。
髪質や寝ぐせの有無。
ベストの模様や、靴のかたち。
キャラの外観の設定も事前に固めていないくせに、その小説世界はどう動いているのか? あんたらの脳内は白紙か?笑
ですよね~。
ふしぎですよね~。
固めたプロットや資料集がないのなら、パクってきた借り物のストーリーで、借り物のキャラを動かしているに違いない、とまでおっしゃる。
プロット(*´▽`*)
実はわたし「プロット」という語が嫌い笑
いや、言葉に罪はないんですが。
プロットの大切さ、分かってますかッ!
な一部の人たちのあのノリが笑
プロットプロットと口にすることで高度高尚なことやってます感。
「ちゃんとプロットを作っているわたしたちの方が、真の小説家であり創作上位陣なんですからねッ」
……いえいえ。
いえいえいえ。
ごく普通にプロットと口にする分にはなんにも思いませんよ。
「プロットまでは完成しました」だの「プロットが……」と絶望している人がいても、笑いはしませんよ。
わたしも使いますよ、「プロット」
プロットね。プロット。
プロッターの人たちのいうプロットとは、ほぼ、漫画におけるネームですよね。
本番の下書とはまた違い、ざっくりとコマ割りして、キャラをあたりで入れて、セリフと噴き出しの位置を決めるやつ。ここで、もう八、九割は決定です。
漫画とは違うのは、長期連載であっても、小説プロッターの人たちは最終回までのプロットが出来上がってから、いざ、本番を書くのです。
では、それをやらない書き手がどうなってるかというと、「ざっくりプロット」のままスタートして、脳内プロットが次から次へとシナプスで繋がっていくという感覚です。
で、ここでプロッターの方はその想像がつかないので、「はあ?」になるんですよね。
しかしこれは、ずーーっと大昔から2タイプいることでして。
なんかプロッターとパンツァーに分けると、パンツァーが天才肌っぽくみえますが。
そこまでかけ離れたものではないですよ。
原稿用紙時代の草稿。
文学館で見たことがあるかもしれませんが、あの汚いあれ。
原稿用紙に、打ち消し線を引いて、欄外にはみ出して書いて……ああして実際に手を動かしながら考えてる、あれが実はパンツァーです。
現在だと、あのごちゃごちゃした手書きの部分が残らないだけです。
一方のプロッタータイプの人は、まずきちっと構想メモを作り上げて、最後まで書き上げたメモを横において「いざ」と原稿用紙に「清書」する。
同じものを「下書」と「本番」でほぼ二巡する。
音楽にたとえると分かりやすい?
課題・オリジナルの音楽を作って下さい。
パンツァータイプの人は、事前に決めておく構想は曲調コードの「メジャー」「マイナー」くらいです。実際に楽器をぽろんぽろんと弾きながら、音楽を作っていく。
プロッタータイプの人は、まず譜面をフィナーレまで音符でかき起こします。
楽譜がない?
なのに、他人のキャラをパクッてもいない?
じゃあパンツァータイプの人の小説世界は、画面上で文字をただこねくり回すだけで、脳内イメージは白紙なんですかぁ?w
ねえ。
ふしぎですよね。
パンツァーの脳内を説明するのは。言語化が難しいよね。
★課題・お題「猫」の作曲
パンツァーは、「猫ね。猫の曲か~」と実際にぽろぽろ楽器を鳴らしながら、その音色と共に、
「そうか、この猫はシャム猫で、おばあさんが飼っている、好きな餌はあれとあれだ、その餌は半分ボケているおばあさんではなく、近所のお兄さんが与えてる、そんなある日、雨が降って……」
と次々とシナプスが繋がっていく感じ……か?(こんな説明でいいのか)
対するプロッターのタイプは、「猫の曲」を作る時に、シャム猫、噴水のある庭、雨上がり、と最初からきちっとモチーフを決め、「ああこれは確かにシャム猫でもいそうだわ……」とそんなメロディラインで、シャム猫を表現するための楽譜をまず最初にかいていく。
実際にはそこまでパキッと二分されているわけではなくて、
ぽろんぽろん楽器を弾きながらも、パンツァーの人は頭の中で全体の構成を同時進行していますし、
譜面をおこしながらも、プロッタータイプの人も実際に音に触れて、「いや違うわ、もっとこう……」とびりびりと原稿用紙を破ったりするものでしょう。
プロットとは、どこの段階でどれほどやっているのか、の違いに過ぎないのかなーとわたしは考えています。
ラストまで譜面を書くわりに、プロッターの人もエタるのは、実際に演奏してみたらつまんなかったわーとか、フィナーレまで固めてるのに「あれ、こっちのほうがいいかも」「こうしたほうがもっと猫っぽくなる」と途中で書き足しをした時に、なまじぎちぎちに伏線を張り巡らせて構成してるものだから、辻褄が合わなくなって破綻するからです。
パンツァーの人も、「ふんわり」のまま始めて、結局最後までそのまま「ふんわり」を続けてしまって、ぼけた仕上がりになったり、これじゃいかんと思いつくまま唐突なイベントやキャラを動員したことで曲調すらも変わり、物語を閉じる(フィナーレを迎える)ことが出来なくなるからです。
しかし両者とも、変更があってもそのままエタらずに、完結することもあります。
はい、そうです。
事前に固めていたプロットから外れても、小説は書けるのです。
よくききますよね。
「最初のプロットはこうじゃなかったのに、途中からこうなった」系のことは。
どうして途中でプロットから逸れてしまったのか?
猫がどっか行ったんだよ。
隣家から友だちの猫が来たんだよ。
ミルクなめてたらミルク皿を倒してしまって予想外のことが起きちゃったんだよ。
だってあいつら、お話(メロディ)の中で、実際の猫のように血肉をもっていくから。
血肉(命)とはなんだよって話ですよね。
でも、わたしたちはキャラの一喜一憂を生きた人のそれのように、読みますよね。
キャラたちの解像度は、細かな設定によって生み出されるものだ、というのが設定派の考え方です。
うん、分かる♡
でも意外かもしれませんが、設定資料集を持たない人であっても、脳内の解像度は高いです。キャラの区別もあります。
プロフィールとしての、身長体重までは決めていないだけです。
センチの次は、ミリですか?
キロの次は、グラムですか?
どこまで事前にプロフィールを作り込めば、「小説を書いてもいい」資格が得られるのでしょうか。
あーそうね、なんか荷物をはかる道具に女の子がぽんと乗って「42グルだ~(設定できめた単位)」とかの場面は、可愛くていいかもしれません。
せっかく設定資料集で長さや重さを測るオリジナル単位を『創作し』、身長体重を決めたのですから、絶対に出したいですよね。
違う違う、順序が逆?
設定資料集で、(既存の単位を下敷きに)オリジナルの単位の名称を決めている時に、女の子が目方を計る可愛い場面が脳裏に浮かんだ?
だからオリジナルの世界観?
しらんがな。
レゴを組み立ててたら、そこを歩くキャラの姿が浮かんだ、みたいなやつでしょ。
わかるわかる。
着想なんてべつにぼけーっと空を流れる雲を見ていても、テレビから漏れ聞こえてきたニュースや、電車の中からでも、幾らでもどこからでも拾ってくるでしょ。
血液型をAB型にしたことで、解像度がより上がった?
だから血液型を決めてない人たちのキャラは、パクってきたキャラ?
最初のプロットで登場人物のセリフを全て決めた?
だからその都度書いているセリフや、後から付け加えたセリフや新キャラは血肉をもっていない、パクってきたキャラ?
最初のプロットどおりに登場人物が決められたセリフと行動をしていたら、これこそ、作者の構想を反映した、血肉をもったオリジナル創作?
それとは違い、筆が乗るままに時として思いがけない逸脱をするキャラは、血肉を持ってないパクってきたキャラ?(もう意味不明)
――自分が作った創作の設定とキャラならば、知らない・分からないがあってはならない、許されない。
もしそうなら、それは創作したのではなく、パクってきたものだ。責任を果たしていない。
「各キャラのつむじの形はどうなってるんですかぁ~?」
しらね。
だって、つむじの描写なんて、その話には出てこないもの。
つむじの形を設定していなければ、それは血肉をもったオリジナルキャラではなくて、パクってきたキャラで、ただ文字を書いているだけで、小説を書いたことにはならないの?
設定好きの人だって前髪のかたちまでは決めても、各キャラの手相や指紋の形状までは決めてない人多そうなんだけど、それはいいの?
そんな設定派の人に、一字一句、一行一行、
「嵐で船が転覆したけれど、その時の船体に対する風速と波高は当然、その世界の技術水準に応じて算出して整合性をつけてますよね?」ときくのは駄目なんでしょ?
『血肉の通ったキャラ』なら知らないことがいっぱいあって当然。
本当に血肉の通った生きたキャラならね。
彼らは他人だから。
「動き回る登場人物を観察するように書く」「主人公のことは分からない」タイプの作家でノーベル文学賞をとったり、毎年のように候補にあがっている方だって実際にいますよ。
小説とは『構想』から始めるのでしょうか。
うん、そうだよ。
(ええ……?)
でも、最初のプロットと設定で、どれだけ固定・決定したかじゃないよ。きっちり決めても、もちろんいいけれど。
以上は、基本プロッターで、いつまでも設定を細かく作って遊べるわたしの意見です☆