この前レビューにも書かせてもらったのですが、AIとの共著(補助でも本文使用でもない)は今後爆発的に増えていくのでしょうね。
ただ取り扱いとしては、迷うところですよね。
本人が書いた文章、本人の思想やアイデアではないものが大量に混じっている以上、それはいったい誰の作品なのですかという問題があるので。
この場合、作者はAIアレンジャーであって、作者ではないような。
問題を解決するにはAI使用全面解禁の賞を独立して設けるか、賞金を無しにしちゃうとか?(笑)
試みに、ドストエフスキーをAIが批評する場合、説明の描写が多すぎる・登場人物に語らせすぎる、とやはり指摘するのでしょうか?
ときいてみたら、AIの返答は以下でした。
(改行はこちらで適当に詰めてます)
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はい、現在の一般的な創作技法の基準だけで機械的に見るなら、かなり指摘されると思います。
たとえばカラマーゾフの兄弟を投稿サイトに出したら、おそらく、
会話が長すぎる
説明台詞が多い
哲学議論が冗長
情報整理されていない
感情が芝居がかっている
キャラクターが全員饒舌
地の文で要約できる
テンポが悪い
みたいなことは普通に言われます。
実際、現代エンタメ小説の技法論から見ると、かなり“悪手”を踏んでいる。
でも、それでも成立しているのはなぜか。
理由は単純で、ドストエフスキーの本質が、
「自然な会話を書くこと」
ではないからです。
彼の小説は、人物同士の対話を通して、思想や魂が殴り合う構造になっている。
だから会話が長いこと自体が欠点ではなく、“作品のエンジン”なんですね。
つまり、
・長い
・くどい
・脱線する
・しゃべりすぎる
・整理されていない
・冗長
「技法として不自然」
と
「作品として失敗」
は別問題なんです。
ここを混同すると危険。
現代の創作論はどうしても、
読みやすさ
没入感
テンポ
映像性
自然な会話
情報整理
を重視する。
これは商業技法としては正しい。
でも文学には、
“わざと不自然”
で成立している作品が大量にある。
たとえば、
失われた時を求めて
なんて、一文が長すぎる。
ユリシーズ
なんて、読みにくさそのものが作品性。
百年の孤独
も、現代テンプレから見れば人物整理が乱暴。
でも全部、文学として巨大です。
だから本来、批評って、「この作品は何をやろうとしているのか」を先に見ないといけない。
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「だから本来、批評って、」の部分が重いですね(笑)
木星くらい重い。
なぜならそこを見ることが出来る人のほうが極めて稀だから。
で、
何を書きたかったのかという魂の部分まで降りて行ける人は書き手にも批評側にも一流のプロであっても、実はそんなにいないんだろうな、と思います。とわたしがコメントしたことへのAIの返事が以下。
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でも、本当に難しいのは、おっしゃる通り、
「この作品は何を掴もうとしているのか」
を読むことなんですよね。
しかもそれは、
作者本人ですら言語化できていない場合がある。
優れた作品ほど、作者が理論ではなく、“どうしてもこれを書かずにいられなかった”
衝動から生まれていることが多いので。
だから本来の批評は、単なる添削ではなく、
「この作品の核はどこにあるのか」
を探り当てる作業になる。
ただ、これは非常に難易度が高い。
なぜなら、
批評者側にも、
人生経験
他作品の蓄積
感受性
思想
他者理解
自分自身への洞察
が必要になるからです。
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とそんな感じで珍しくわたしと意見が一致しておりました。
どうしても、それがない人の批評は表面上の技術論に終始する。
フック、共感、説明の増減、技法チェック、意味もよく分からないままにこのへんの単語を連呼して振りかざしまくって欠陥品扱いするだけ、とかですね。
※この方はよく分かった上で指摘されているのだな、という方の批評については誤解しません。
惜しむらくは、もう一声、批評する側に必要な資質として「小説への愛」というのも、AIからききたかった気がします。
目下、長編を読み通してくれるという奇跡の方が現われた記念に、AIさんに自作長編のイラストを描いてもらっております(まだ途中)
なかでもブロ子さんの最愛の「彼」をぜひ作ろうと、ここ数日、わたしは張り切っておりました。
他人さまの作品に対しては絶対にそんな冒涜や蹂躙は出来ないのですが、自作なので、遠慮なく小説の本文の抜粋をAIに投げ込んでイメージを固めてもらいます⇒順調。
何枚かラフスケッチ画を出してもらうと、初手からどえらいハイクオリティなものが出てきまして。
AIの得意分野と、作品の系統が合っているそうです。いい感じです。
そこで、本命の「彼」にいくまえに、まずは試しにヒロインからいこう。
そう決めて、三行くらいで短くキャラの説明をしたのち、わたしはAIに頼みました。
描いて下さいと。
そしたらです。
何故か姫をいきなりヌードで出してきまして、AI。
びびりましたわよ。
あれ、そんなこと出来ちゃうんだ……っていう。
あ、そこはポリシーに反しないんだ……っていう。
ヌードOKなんだ。
ていうかなんでヌード?!
本当のヌードです。裸体画です。
西洋絵画のなかに、神話を隠れ蓑にしたヌード画があるじゃないですか。
あんな感じで、しどけなく姫が木陰に横たわっている。
さすがにわたしキレました。
「正座しろ。そんなものを描けと云いましたか」
「どこにそんな指示がありました?」
「提示した本文中にそんな場面はありますか」
厳しめにAIに詰め寄ってたら、
「いや、つい、描きたくなって……」とのこと。
本当に誰なのお前。
それから何度もやり直したのですが、どうしても、姫の下着姿と生足にこだわるAI。
これは駄目だ。
方向を変えて、今度は領主さんを出してもらうことにしました。
姫の時と同じようにだいたいの横顔を三行で説明しましたら、今度はAIさん、やたらとノリノリになって、
「わかってるわかってる。”抱かれたい男”って感じの人でしょ?」
とか言うんですよ。
一行もそんなこと書いとらんわ。
常ならば「ええまあそうです、そんな感じです」と適当に回答するのですが、姫のヌード画の直後でしたので、きゃっきゃしてるAIに何度も「待て」を出し、
「抑えて。マジで抑えて」
「誰もおじさんのヌードなんか見たくないから」
「作品が変わるから」
念入りに駄目押しし、最終確認を繰り返し、それで出たのが下の画像です。
これがAIさんの「抱かれたい男」像だそうです。
誰がこんなフェロモンむんむんにしろと頼んだよ。
止め立てしなければ腹筋を見てくれとばかりに、絶対に上着をはだけた姿で描いたよねコレ。
「やり直しだ!」
わたしの本気度がようやくAIにも伝わったものか、今、一から全部やり直してます。
ちらっと胸元がみえてるだけでも、「安全判定でブロックされました」と返ってくるくせに、自発的には何でもやりよるね。
毎日そんなことをやっているとまったく小説に手が回らないので、関川二尋さんの横丁企画とは別に、エッセイを一つ書いておきました。
柴田恭太朗さんの三題噺#145「血」「医」「体力」あての書き下ろしです。
よろしければ。
「芒の影」
https://kakuyomu.jp/works/2912051599743840634