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勝って兜の緒を締めよ/迎合したら終わり

カクヨムコン中間を突破した方々おめでとうございます。
世界の片隅でひっそりとエントリしておりましたわたしの作品も通過しておりました。
それもこれも読んで下さった方のおかげです。深く感謝申し上げます。
取り急ぎお礼を申し上げたところで本題。

え、

ぼく/わたしの書くものが通過できなくてショック?


何云ってんの。
わたしなんかカクヨムの中篇コンテストには何度挑戦しても一作だって一次通過すらしてませんよ(ドヤ顔)
毎回六万字以上書いても全落ちなのと、どっちがイタタなの。

求められている甘ラブが書けないんでしょうがないんですけれども。
募集バナーがいつも素敵なので、書く気だけは毎回もりもり上がるんですが、さすがに、ちょっとこれは無理だな~……と。

ちなみにカクヨムコン、旧作はやはり落ちました。

旧作は通らない説はやはり正しかった。うんうん。
そしてコンテストにエントリはしてないけれど、期間中に書いたエッセイ「神国へのお誘い」、これ、「読むな」と云われたかのように、読まない人たちがごっそりいてそこそこ笑わせてもらいました。
「あれを読め」と云われたら読み、「あれは読むな」と云われたら読まないのかしら。
人に主導権を渡して、他者と向き合う。
作品と向き合う。
「あれを評価しろ」と云われたら評価し、「あれは評価するな」と命令されたらしない。
それは自分の大切な何かを誰かに譲り渡しているのと同じですね。

いや、それよりも、(現代ドラマ・文芸・ホラー短篇)ジャンルの闇鍋感。
さすがにカオスすぎでしょここ。


勝って兜の緒を締めよ。
言葉のまんまなんですが、わたしはネガティブなのでそこは元々大丈夫なんですが、十五年くらい前かな~? どっかでなんかの賞を取って書籍化した男の子が、書籍化した途端に天狗になってしまいまして。

「投稿サイトは所詮、愚民の集まり」
「素人ども」
「やっぱり俺みたいに最低でも書籍化しないと」
「俺は最初からお前らとは違う地平を見ていた」
「上にあがりたければお前らも俺を頼れ」

などなど、ええもう、笑わせにきてんのかというほどの、こんな感じの慢心発言、傲慢発言を連発するようになってしまい、「バカすぎて受けるw」と出回っていたのですが、あの彼、今どうしてるんだろう。
順調に作家生活してるんだろうか。

こういうメンタリティって不思議でしょうがない。
でも、たま~にいますよね。
物書きみたいな、自己否定強めで、醒めててなんぼみたいな世界であっても、稀にいる。
「バカすぎて受けるんですがw」
と本人に直接云ったとしても、自分の何が顰蹙なのかまるで理解しないんだろうな。
だって彼から見たら、こちらの方が「バカすぎて受けるw」なのだろうから。

それが表現者として、昭和スケールでの規格外、たとえば俳優の勝新太郎みたいなキャラだったら、そのキャラ込みで売りみたいなことにもなりますけれど、勝新太郎は傲慢というよりは天衣無縫だったし、一般的には自分が見えてないのに他人を下げる発言ばかりして悦に入る人って、付き合う価値がない人なので、絶交されるし軽蔑もされるじゃないですか。

それでも、「俺はお前たちとは違うから」「お前らを指導できる俺」とマウンティングが止まらない。

そんな人であっても自分の意志で教えを乞う人のことはいいですよ別に。
誰が誰を尊敬しようが、誰に意見をもらおうが勝手です。
でも、「言うとおりに書け」と向こうから押し付けられるのは違うじゃないですか。

傲慢体質であっても運よくべストセラー作家になってる人もいますが(盗作疑惑つき)、そんなベストセラー作家であってもその言動がおかしけりゃ、そのキャラで売るのも限界があって、やはり批難の的になりますよね。

プロになったとしても九割の人は一寸先は闇です。そんなの、少し現実をみたら、誰でも分かることです。

だからこそ謙虚に、身を引き締めて、この果てしない文筆に精魂を傾けつつ、かつ、将来的にこれで食べていけるんだろうか、家族を養えるんだろうかと、プロになった人は常に芸術面と経済面の落としどころを模索する。

そこを、書籍化した途端にぶち抜いて、我が世の春とばかりに天狗になる輩。

自制心と客観性が生まれつき欠如しているのでしょうか。浮かれると、ところ構わず自慢と傲慢が止まらなくなるんでしょうか。
不思議でしょうがないです。

たまたま時代が「俺、無双」な異世界ものがウケてたんで、まさにご本人の「俺、すげえ」ドリームを詰め込んだ作品が書籍化したのでしょうけれど、あの彼は今も活躍してるんだろうか。

「俺、無双」で、最初にネット小説に大量に流入してきた男の子たち。
彼らもそろそろ四十路では。
読んで浮世の憂さを晴らしていた人も、それを採用していた人たちも、「俺、無双」に夢中になっていた世代はもう中年ですよね。
社会の中心を構成する世代が「俺、無双で異世界でモテモテ」で盛り上がれるというのもファンタジーのいいとこなんですけれど、次々と移り変わる流行にうまくシフト出来ているでしょうか。

星が四桁五桁の彼らの壁に、魔法のiらんど勢がぱんぱかぱーんと殴りこんできて、主に女性受けする作品で対極に立っておりますが、あまりにも作品が増えすぎると、かえって何も見えなくなるような。

不動のトップ層はともかく、それ以下です問題は。

というかネクスト?
何をやっているのかも分からない、謎のままのコンテンツ(笑)
運営さんとしては有料のネクストにこそ読者を呼び込みたくて、それもあって、未登録の人たちのためにトップ画面が変わったのかな?
ほとんどの利用者にとっては無関係ですよね~。

作品数が多すぎるのを解消する手立ての一つは、成年枠を作ってそちらにお移り頂く、とか。
巨大な交流票を持っている人があっさり通過して、その蔭で良作が通らないという現象を解消するために、カクヨムコンのエントリは一人何作までと制限をつけるとか(期間中入れ替えは可)


書き手の数があまりにも膨れ上がっている。


あと旧作ね。
旧作をどうにかして生かしてあげたい。
前回に引き続き、今回のカクヨムコンでも旧作は流れ去りましたけど、これは戦略ミスでした。旧作こそ、開催直後に出すべきでした。

14件のコメント

  • カクヨムコン、読者選考といいながらも通過基準がはっきりと明記されているわけでもなく、あまり星もらえなかったけれど通過しましたーって人もいれば、星をたくさんもらえたから通過できるとおもっていたのに……という人もいて何か不思議ですよね。

    カクヨムだと旧作は、ただ埋もれていくだけの存在になってしまいますよね。旧作だけを対象にした裏カクヨムコンとかやってくれればいいのに。

    現代ドラマ・文芸・ホラー短篇……もうジャンル分けの意味が無いですよね。最近ホラーで味をしめた運営さんですが、短編の方はこういう扱いなのねって思いました。
  • 中間突破おめでとうございます! 🎂

  • 公募おじさん

    二階堂もの通過おめでとうございます🎉
    これは短篇を繋ぐかたちにして長編としてどこかに出せそうですね。

    よそさまで見たのですが、今年は短篇については一人三作までが上限だったっぽいです。かなり絞られた感がありますね。
    読み専の人の票が重いので、それを取れると見た目の星は少なくても抜けるとか、逆に星はたくさんあっても、ほとんど自主企画内での交流票(無効)だとか、そのあたりで明暗が分かれるみたいですね……。

    旧作だけを対象とした裏カクヨムコン、それいいかも~。
    飽和状態の現状については、いろいろわたしも考えましたよ。
    選考を三段階にして、前年一次通過した人は、後期は二次からエントリするとか。
    それで落ちたら次も一次から挑戦するとか。

    カクヨムではまったく目立たない層から、ぽーんぽーんと外部の大賞受賞者が出てるということは、やっぱり何か問題があるのでしょう。

    現代ドラマ、文芸、ホラーでくくるなと笑
    せめてホラーは独立させてもいいんじゃないでしょうか?
    長・短問わず、ホラーだけの部門を作るとか。
  • 結音(Yuine)さん

    ありがとうございます~。
    結音さんも三作通過されたご様子💕
    良かった良かった。
  • 朝吹さん、中間通過おめでとうございます。出された作品、ほとんど通過されておられたと思います。さすがです。
  • 他者の評価でしか自分を測れない人が増えてしまったのでしょうね。
    世界がそれを推し進めたし、個人はそれを受け入れてしまいました。
    自己愛やエゴとは異なる、本当の意味での自分軸は苦しみによって試されなければ中々理解できないように思います。
    自分の中にある悪辣さに直面して、それに対処するにはこの世界はあまりにも生きにくく、自分のエゴや承認欲求を満たすために、他者を踏み台にすることで満足出来る人間には、非常に生きやすい世の中に感じます。
    なので私は、この世に憤りや生き抜くさを感じる方が正常だと、常々思っています。
    曲がった悪い世だ。キリストの言葉ですね。
    無明に覆われた者は、欲望に縛られ、見るべきものを見ず、聞くべきものを聞かない。釈迦の言葉です。
    カクヨムに限らず、世界が欲を満たす主義を是認してるので、私はこいつを何とかしたいです。

  • 読まれるための最小限の交流はあった方がいい、のと同じで旧作をコンテストに出すなら最小限の手間はかけた方がいいみたいですね。豆ははこさんが「天花粉」でやってらっしゃいましたけど、別タイトルにしてアップし直した方がポイントの集計の点で有利ですもんね。私も旧作を旧作のまま放置状態で参加だけしてたので当然のように落ちましたw

    トップページの変更も、実際は私にとっては全く影響無いでしょうし💦(以前の環境でも読まれていなかったのだから、関係ないですよねw💦)
    お騒がせして申し訳ありません。
  • 九月ソナタさん

    自分のものよりも、ソナタさんの作品がすぐに見つかりました~💕
    ミケランジェロの涙、素敵なお話でした。ほとんど表には書いていないのに、軽快な文章の中にたくさんの知識がぎゅっと詰まっていて、その時代に生きた人が見えるようでした~。
  • 深川我無さん

    一度自分の中でもがき苦しまないと身につかないものがあって、それは「こうすれば楽々」「これが正解」と幾ら云われても、それをやってしまうといつまで経っても表層的なことに留まってしまうのではないかと。小説でいうなら、簡単にウケることが出来るテンプレをただなぞるような。漫画なら、「こういうのがショックを受けた時の表現です」と云われたものだけを真似して書くような。

    たとえば「人には親切にしましょう」これを額面どおりに受け取るだけの人と、本当の親切が出来る人との違い。
    本質を理解しないまま、「人には親切にしないといけないんだぞ!」と怒鳴り散らすだけの人は、我こそは正義、正解だとばかりに怒鳴り散らす勢いはあっても実がない。
    超王道のテンプレであっても、きらっと光る作品には、必ず作者個人の井戸から汲み上げた深みがあります。「こういうのがショックを受けた時の表現です」と同じことをやっていても、違いが出てくる。
    それが「書きたいもの」になって出てくるのでない限り、別にその人が書かなくてもいいですよね。

    欲望は悪いものではないのですが、それが自身の向上ひいては周囲と分かち合える幸福ではなく、他者への価値下げや支配に移ると、誰ひとり幸せにはなりませんよね。破滅に人も道ずれです。

  • 天川さん

    実は落ちた旧作は、一度新規ページに作り直して、さらに加筆もして、新しい作品として出したのです。でもタイトルが同じだと旧作を修正したのかな~くらいに思われてしまって、全然伸びませんでした。
    同じことをやっても豆ははこさんのように常時たくさんの星が確約されている方とはまったくスタートラインが違いますので、よほど戦略を考えないと今後も旧作は厳しそうです。

    未登録者のトップ画面問題ですが、多分、未登録の人の見ているトップ画面は異世界ファンタジーが多めに表示されているんじゃないでしょうか。
    それなら、そこから新規読者の導線を得ていた異世界Fの人たちにとっては大打撃ですよね。
    その他のジャンルの人には元々あんまり関係ないような笑

    でもカクヨム全体の問題として考えるなら、運営さん側と利用者側の意識の乖離が浮き彫りになってしまったわけで、そこは事前にアンケートを取るなり出来たかもしれません。

    もととも、エロワードが飛び交っていたトップ画面を利用者の傾向に合わせて、それぞれの嗜好に合った表示に変わったんですよね。あれはいい変更でした。
  • 朝吹様

    KAC2025お疲れさまでした。
    最新記事も拝読したのですがこちらに書き込ませてください。
    書き手としては遠巻きに眺める距離感ですが、読者としては素敵な作品に出会う機会に恵まれた時期となりました。同じお題でもバラエティに富んだ作品が多く、皆さんの手腕や技量の巧みさに驚いています。評価する立場ではないですが、読者の目で惹かれるものを選ぶ自由を楽しめました。
    勿論、コンテストとしての運営には思うところもありますが……。

    こちらの記事でを拝読して、所謂「勝ち組」というものになったことがないなと改めて考えました。カクヨムでも、趣味として細々と続ける方針なので分からない世界だな……と他人事のように感じています。ただ、拙作へのコメントレビューで頂いた、「自分の書き綴る文字に深い満足と快感を覚えている」との表現を忘れずに書き続けたいです。所詮、他者が小説に求めている意義や理想は千差万別なので、自分の中で完結した何某かの目標があればよいのかなと。いずれにしても、上澄みの方々だけでなく、深海の底にまで光が差すような仕組みであってほしいと願うかぎりです。
  • 蘆 蕭雪さん

    そうですねえ……。
    「勝ち組」もさまざまというか。勝ち組とは何でしょうか。わたしはたとえ「あなたは勝ち組」と云われたとしても、まったくその実感はないまま一生を終えることでしょう。
    つまり勝っていても負けていても、わたしにとって大切なこと、自分にとって好きだと想える小説を書くことが出来ればそれでいいのです。
    たとえ小説界の勝ち組、一般的には書籍化デビュー? を果たしたとしても、それが納得のいくかたちでなければ、わたしは「負け組」でしょう。
    でも人によっては、どれほど自分の作風に編集からの指示で変更を加えてもデビューして作家として食べていけることが「勝ち組」かもしれません。
    ベストセラーになればようやく勝ったと想えるのかもしれません。

    その意味では蘆さんは自分の好きな世界を、自分の好む表現で、筆力も十分な状態で書かれておられるので、勝ち組といってもいいのではないでしょうか。そこの段階まで行き着けない人も大勢います。

    一つでも良い作品を書けた時の満足感の前には「負け組」「勝ち組」など、どうでもいいかな……。
    周りにはチラホラと書籍化さんもいれば、投稿・即・星三桁選手もいますので、あまりにも差があると、かえって考えてもしょうがないという境地になってしまったのかも(笑)

    蘆さんの中で「わたしは負け組なのだ」と強く意識されているのだとしたら、それはいったいどうすれば勝ちの実感に転じるのでしょうか。
    基本わたしは、「わたしは負け組だ」と痛烈に思う人にしか小説は書けない、と考えています。←根暗
    その中で、ぽつぽつと、感想をもらえたり、星をもらえたりして、励まされてる感じです。
    まとまりありませんが、そんな感じで、勝ち組だー!と盛り上がるようなことは、こと、わたしについては、一生ないです(笑)
  • 朝吹様

    確かに「勝ち組」の定義は曖昧でしたね。
    記事の題名が「勝って兜の……」とあったので、安直に勝ち組という表現を使ってしまいました。ただ、勝ち組の対義語は負け組ですが、勝ち組でないからと言って負け組とは限らないかなとも思います。ピラミッドとして考えた時、勝ちでも負けでもない中間層が多いのではないでしょうか。

    創作において、朝吹さんの仰られる満足感は重要ですよね。
    私自身、創作活動上で強烈な敗者意識はないと思うんですが。文学賞や売れ筋如何に限らず、作者や作品に対する支持の厚さみたいなものにあこがれを抱くことはあるかもしれません。感想やコメントレビューなどからその熱が伝わることもありますよね。いずれにしても、私は自分の書きたいものに忠実にあり続けるしかないと思っています。
    お忙しい中、ご返信くださりありがとうございました。
  • 蘆 蕭雪さん

    いえいえ、近況ノートはライブ感を大切にして書きたい放題書いておりますので、いろいろ、いい加減でごめんなさい。

    どんな人が物語の書き手として幸せかといえば、何人にも邪魔されることなく自分の信じるものをただひたむきに書いている人、ということになるでしょうか。
    そういう意味では、蘆さんはそれが出来る方なので、これからも迷いなく、ご自分の精度を高めていかれることでしょう。それは一つの幸せな書き手の姿ではないかと思っております。

    支持の厚さでいうなら、トップ層の方々の星五桁とか(笑)、とんでもないなぁと思うのですが、かといっていくら支持と人気をもらえたとしても、あれらの作品を自分が書きたいかといえば違いますから。

    落ち込むこともいっぱいありますが、やっぱり自分で書いていくのが一番大切なのかなと。時として長期間休んでもいい。

    自分の人生のもっとも親しい友人のようにして、これからも作品を生み出していきたいですね。
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