隔世を見る。それは窃視であり幻視であり────つまりは読書の謂である。

遠見棗は、右の目で此の世界を見て、左の目では此処ではない世界を見る。そんな少年です。

目の前にない世界で、魁偉な男と出会うことで棗の世界は動き出しました。
男の名は山彦。

おそらくは海幸山幸の伝承が下敷となっていることと思われます。

日本書紀などの記述では海彦山彦は母から普通に生まれたことになっていたはずです。
もっとも、生まれた場所は、燃える産屋ですが。

日本の神様で、目から生まれたといえば。
イザナギの目からアマテラスオオミカミとツクヨミノミコトが生まれたことが有名です。

二ノ前さんの、この二つの伝承を組み合わせて新たなるキャラクター造形とする手法は見事です。
一気に空想が広がりました。

本作では、生半な空想しかできない私たちでは、夢でさえも見られない放逸な想像力に満ちた世界が展開されています。

つまりで私たちは主人公である棗の視界を窃視しているのです。
この状況は、寓意としての読書の本質的な構造が辿られている。
私には、そう思われました。

此処ではない世界を垣間見せてくれることこそが、物語の本質のひとつであるからです。

言葉どおりの見知らぬ世界を見たい方にこそ、本作をお勧めします。
きっと、刮目してしまうことでしょう。

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