遠見棗は、右の目で此の世界を見て、左の目では此処ではない世界を見る。そんな少年です。
目の前にない世界で、魁偉な男と出会うことで棗の世界は動き出しました。
男の名は山彦。
おそらくは海幸山幸の伝承が下敷となっていることと思われます。
日本書紀などの記述では海彦山彦は母から普通に生まれたことになっていたはずです。
もっとも、生まれた場所は、燃える産屋ですが。
日本の神様で、目から生まれたといえば。
イザナギの目からアマテラスオオミカミとツクヨミノミコトが生まれたことが有名です。
二ノ前さんの、この二つの伝承を組み合わせて新たなるキャラクター造形とする手法は見事です。
一気に空想が広がりました。
本作では、生半な空想しかできない私たちでは、夢でさえも見られない放逸な想像力に満ちた世界が展開されています。
つまりで私たちは主人公である棗の視界を窃視しているのです。
この状況は、寓意としての読書の本質的な構造が辿られている。
私には、そう思われました。
此処ではない世界を垣間見せてくれることこそが、物語の本質のひとつであるからです。
言葉どおりの見知らぬ世界を見たい方にこそ、本作をお勧めします。
きっと、刮目してしまうことでしょう。
少年の目は未知を映した。現代とは思えぬ、不可思議な世界を見た。
そこで青年の男に出会った。
そして──。
もう世界が完成されていて、レビュータイトルを決めるのが大変でした。
印象的な言葉が作中にいくつかありましたので、そちらから選ぼうかと思ったほどです。
先に書きましたとおり、少年は自身の目が見た世界に入り込み、青年に出会います。
この青年のかっこいいこと!
けれども魅力はそれだけではありません。
少年の見る「未知」、こちらもまた素晴らしいのです。
墨絵のような挿絵とともに味わいたい、どこか からりとしたような、怪しく魅力的な世界なのです。
ええ、もはや私には表現のしようがありません。
このレビューを見つけてくださったなら、もうお話を読んでいただく方が魅力をお分かりいただけるかと思います。
きっと後悔はさせません。
どうぞ読んでみてくださいな。
設定でものすごくワクワクしました。
ある時、「左目」が別の世界(または時代)の光景を見るようになる。右目を閉じて左目だけに視界を限定すると、まるでその世界にいるような気分にもなれる。
大百足が存在し、それを退治する者がいるなど。いわゆる「妖怪退治の物語」に出てきそうな光景が、まさに現実のように目の前に展開する。
その世界は一体なんなのか。どうして、自分にはその世界が見えるのか。
やがて、「そこの世界の住人」の一人と言葉を交わすことが出来るようになる。そうして事情を聞くことになり、また更に壮大な物語があるような感じが見えてくる。
読めば読むほど「未知の世界」に触れていき、胸が高鳴る感じがしました。
海彦と山彦という存在。彼らの持つ宿命の行く末はどうなるのか。そして、この妖怪めいた存在のいる和風ファンタジーな感じの世界では、他にもどんなドラマがあるのか。
もしも自分の目に「そんな光景」が見えるようになったら、好奇心を刺激され過ぎて現実に戻れなくなるんじゃないか。それだけ「怪奇」や「幻想」のロマンを感じさせられる、ワクワクな世界観が構築されていました。
未知と触れる喜び。それを改めて実感させられました。