――命を「もらう」ということ
本作の核にある言葉は、
日和の「あなたが捨てた命、私がもらう」です。
一見すると、これは残酷な言葉です。
命は交換できないし、所有もできません。
けれど彼女が欲しかったのは、
肉体としての命ではありませんでした。
・外を歩くこと
・働くこと
・誰かに怒られること
・走って汗をかくこと
・太陽の下で失敗すること
彼女には手に入らなかった「人生の行為」そのものです。
オサムが再び社会に出る姿を、
日和は窓越しに見続けます。
それは監視でも、依存でもありません。
「自分にはできないことを、誰かが生きてくれている」
という、静かな肯定でした。
日和は、オサムを救ったのではありません。
オサムの人生を奪ったのでもありません。
彼女はただ、
「生きている人の背中」を、最後まで信じたのです。
そしてオサムは、
その背中に向けられていた視線を知ったとき、
初めて自分の人生を“受け取る”ことになります。
泣き叫ぶラストは、
喪失の涙であると同時に、
初めて自分の人生を背負った瞬間でもあります。
この物語が問いかけているのは、
「なぜ生きるのか」ではありません。
「誰かに見られていたと知ったとき、
あなたはその人生を、どう生き直しますか」
という問いです。
その答えは、
きっと読者一人ひとりの中にあります。