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MBTI法について


あとがき

この物語は、「もしも性格診断が法律になったら」という仮定から始まっています。
ですが、書いているうちに、これは未来の話というより、すでに始まっている現在の話なのだと感じるようになりました。
私たちは日常的に、分類されています。
成績、職業、年収、フォロワー数、適性、向き不向き。
それらは便利で、分かりやすく、安心を与えてくれます。
「自分はここにいていい」と思わせてくれるからです。
けれど同時に、その安心は「ここから先へ行かなくていい」という諦めでもあります。
主人公のカケルは、制度に勝とうとします。
しかし彼は、勝つほどに気づいてしまいます。
勝利が制度を壊すのではなく、制度を正当化してしまうことに。
だから彼が選んだのは、革命でも英雄譚でもありません。
参加しないことでした。
それは無責任に見えるかもしれません。
誰かを救わない選択に見えるかもしれません。
ですが、管理された希望を演じ続けるよりも、
拒否という沈黙を選ぶことが、彼にとって唯一の自由でした。
この物語を読み終えたあと、
もし少しだけ居心地の悪さが残ったなら、
それはきっと、あなたがすでに何かを「測られている」からだと思います。
その違和感を、無理に解消しなくていい。
この物語は、答えを与えるためのものではありません。
ただ、分類の外側に立つ人間が、確かに存在した、
という記録です。

解説(作品構造とテーマについて)

『分類されない人生』は、五幕構成で設計されていますが、
物語としての山は「勝利」ではなく「自覚」に置かれています。
第1幕・第2幕では
 人格が数値化されることで起こる「静かな排除」
第3幕では
 その制度の中での成功体験
第4幕では
 反抗が娯楽として消費される過程
第5幕では
 勝つこと自体が制度の補強になっているという認識
そして最後に、主人公は「負け」も「勝ち」も選びません。
これは、現代社会における多くの議論――
反抗、改革、炎上、カウンターカルチャー――が、
いかに容易くシステムの一部として回収されてしまうか、
という感覚から生まれた結末です。
仲介者というタイプは、物語上もっとも弱く設定されています。
しかし同時に、他者の矛盾を理解してしまうがゆえに、
最後まで幻想に浸れなかった存在でもあります。
彼は社会を変えません。
誰も救いません。
それでも、分類されなかった。
それだけが、この物語における唯一の肯定です。

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