本作は、「命を救う物語」ではありません。
正確に言えば、「救われたと錯覚してしまう物語」です。
主人公・オサムは、社会から追い詰められ、橋から落ちました。
そして“助けられた”。
しかしその瞬間、すでに別の誰かの人生が、静かに終わっていた。
日和という少女は、太陽を浴びられない病を抱え、
世界を「窓越し」にしか生きられなかった存在です。
彼女にとって外の世界は、自由で、眩しく、
そして決して触れられないものでした。
だから彼女は、オサムにそれを託した。
善意でも、自己犠牲でもなく、
「羨望」と「執着」と「愛」が混ざり合った、
極めて人間的な選択として。
オサムが再就職し、街を走り、
営業として汗を流す姿は、
一見すれば“再生”に見えます。
けれど彼は、
自分の人生を取り戻したのではありません。
二人分の人生を背負ってしまったのです。
日和の日記の最後の一文は、
優しさのようでいて、
呪いにも近い。
「私の代わりに生きてください」
それは祝福ではなく、
逃げ場のない願いです。
この物語を書きながら、
私はずっと問い続けていました。
――人は、誰かの人生を代わりに生きられるのか。
――生き残った側は、本当に“自由”なのか。
答えは、作中にはありません。
ただ、オサムが今日も街を走っている、
それだけが事実として残ります。
もしこの物語を読み終えたあと、
あなたが窓の外を見て、
ほんの少しだけ立ち止まったなら。
その瞬間、
日和は確かに、生きていたのだと思います。