人生の底辺にいるアル中の詩人。
自分を突き放すような冷めた口調で語りつつも、何かを求めることを捨てきれず、がんじがらめの心の中でもがいているさまが、頭の中で鳴き続ける蝉と重なります。
人との出会いやかかわりや喪失の中で、彼女は何を見つけ、どんな出口にたどり着くでしょう。
人と繋がるとはどういうことか、失うとはどういうことか、考えさせられます。大事だったはずのものがある日突然消えてしまう恐怖。なにもかも終わらせたい願望。
でも失うことを恐れるあまり過去の写真に捉われては先の景色は見えないでしょう。龍の背中を登れる運命を授けられているのは、まだ進めるということです。この先の人生はきっと違った景色を見られるはず。
主人公の表情が浮かぶような、清々しいラストでした。
主人公カオルの視点で描かれているけれど、本当はもっと言葉にできないものが文字以外の場所でうごめいているのでしょう。もちろんこの作品以外の一人称視点でもいえることだし、現実の人でも今自分が考えていることを文字ではっきりと認識しているとは思えません。
そもそも喋っている時だって、言葉にできていそうで、本当は全くできていない。
名前すら付けられない、言葉にできない感情。そういうのって、お化けみたいだなあ。
読んでいて、自分のことを表現できない、というのが、実はすべての悩みの根源じゃないかと考えました。社会的なことのような気がしますが、寂しいとか、悲しいとかよりもずっと本能的のような気がします。
だから彼女は、あらゆる「個性的で極端な人々」に縋るのかな。存在感がはっきりしているから、自分よりも表現することが上手だと思って、少しでも表現する方法を自分の中に取り入れたいと渇望している。彼女がどんな形でも人と関わろうとしているのは、水面や鏡を見てようやく自分の姿を確認できるように、誰かの眼を通して知ろうとしているような気がします。
でも、そういう風にあがいて苦しんでいる時は、なんだかものすごい理想を描いていて、いつの間にか「自分はこう正しくあるべきなんだ」と脅迫概念を抱いちゃったりするのかしら。
そこまで考えて、ようやく「あ、この感情は私にも当てはまるな」と思ったりするのです。純文学の定義は、「これはお前の物語だ」と訴えかけてくるというところもあるのかなとちょっぴり思ったり。思わなかったり。何書いてるんだろうあたし。
……とにかく、この物語のチャームポイントは、モッさんが出ているところです!
沢山考えさせられる物語だったので、カッコつけてレビューを書きたかったけれど、見事に粉砕した肥前ロンズでした。
アルコール中毒を患い、自分自身の中の闇から出ることができず…寧ろ出ることをせずに、泥の中に座っているような主人公、田端カオル。この物語は、彼女がその重く粘りつく泥の中を彷徨う日々を描きます。
泥の中で出会う、やはり泥の中を彷徨うような人物達。それぞれの出会いと、その結末——重く沈み込んだカオルの目と脳を通して映し出される世界の色に、窒息するような苦しさを覚えます。
この作品の魅力は、時間の中を彷徨うカオルの心の動き、その苦しみや重さが、非常に繊細な美しさを持って描かれていることです。逃れることのできない気怠い哀しみが、高い表現力により放ち始める静謐な輝き。読み手は気づけばその魅力にずるずると引き込まれていきます。
そして、泥の底を覗いた彼女が辿り着く場所とは——。
深い混沌と、それを突き抜けた先にあるもの。
生きていることの哀しさ、苦しみの深さ……そこにやがて差し込むであろう一筋の光を見るような、深く複雑な色合いを醸す物語です。
テーマは重く、内容は深い、そんな作品でした。
作者様はタグで「純文学のような、そうでないような」と悩んでおられますが、純文学作品だと思います。
ただ、純文学が苦手という方でも、抵抗なく読めると思います。
それは、ストーリー自体がとても魅力的で、かつ作者様の技量の高さから、読み始めると、次が気になって仕方なくなるからです。
そして読んでいく中で、タイトル「龍の背に乗れる場所」の意味が分かった時、この物語の本当の意味が分かります。
物語は、アルコール依存症の主人公・田端カオルを中心に、彼女と関わりがある人物が描かれていきます。
その中で、彼女の感性を刺激する出来事や、あるいはそうでない出来事などが起こりつつ、ある場所に辿り着く。
時には世界がモノクロに見え、時には青色に見え、そしてまたある時には龍が見える。
エンターテイメント小説のような起伏のあるものではなく、あくまでひとりの人を淡々と描いた作品。
だからといって物語が平坦になるわけではなく、毎回気になる展開になり、読み進めていく内に、読者も田端カオルの魅力に取り付かれていくと思います。
冒頭で書いたように、テーマは重く、内容は深い、作品で、考えされられる部分もたくさんありました。
そしてとても面白かったです!
ぜひ、おすすめです♪
別作品「フェアリーウェイト」を先に読んでいたのだが、こちらはまた一風変わった作品。
ぬかるみの中でもがき続ける主人公と、彼女に寄り添う奇天烈な人々。
決してキレイとは言えない泥沼のようなものを作者は芸術品に昇華させたと思う。
ところで15で悪魔といえばタロットカードだが、カードに象徴される執着の鎖を断ち切ったかのように、主人公のカオルは汚物と落伍の地獄を抜け出して光り輝く暖かな場所へと辿りつく。
エピローグに至る過程は「13 死神」そのものである。
あるいは鎖にしがみついていたから竜の背に乗れたのか。
いろいろ書きましたがとにかくこの一言が言いたかったのです。
「面白いのでぜひ読んで下さい!」
生きていれば何かしら心の中にわだかまるものが生じるときがある。煩悶することもあれば、モヤッとして落ち着かないだけで済む場合もある。
そのようなわだかまりが解決したり気持ちが晴れるとき、明確な何かが必要な場合もあれば、なんてことの無い些細な気づきであることもある。
カオルにとっての解決手段は死に繋がる行為だった。
生き残って良かったと率直に思う。
死んでしまえば解決したかどうかも気持ちが晴れたかどうかも実感できない。それでは救いがない。
生き残ったカオルが何かしらの幸せを感じることができた。
ああ、良かった。
その読後感は読者も感じることがあるだろうわだかまりの先に繋がっているのではないか。
やるせなさの残る結末でなくて良かったとしみじみ感じました。
純文学とは何ぞや?
ブリタニカ国際大百科事典では「読者の娯楽的興味に媚 (こ) びるのではなく,作者の純粋な芸術意識によって書かれた文学というほどの意味」と定義されており、然らば文学における芸術性とは何ぞやという問いにぶつかる訳であるが、やはりそれは絵画や彫刻といった造形美を表現する芸術同様、魂を強く揺さぶられるかどうかというところに行き着くのでないかと思われる。その意味において、芸術とは必ずしも美しくなければいけないというものではないと言えるだろう。
今作は美しいか否かという基準にあてはめるべきものではない。無理矢理あてはめるとするならば、主人公カオルを始めとする登場人物の性格や言動は必ずどこかに歪みがあり、そこに生じる空隙があと一歩で寄り添えるはずの心と心を隔てている点、そしてまた人物達が読者の前でも取り繕うことなく人間の怠惰や強欲、欺瞞といった醜さを晒け出している点からも決して心地好い美しさを体現した作品でないことは明白であろう。
しかしながら、魂を強く揺さぶられるかどうかという基準においては、紛れもなくこの作品は作者が芸術的意識を持って読者に提示した「純文学」であると断言できるのである。
なぜならば、一見非常識かつ非現実的に見える人物達の持つ思考や感情はやはり普遍的価値観から外れておらず、数多に訪れる人生の岐路の中でもほんの小さな枝分かれを違えただけで読者自身もまた作中の人物のような境遇で足掻くことになるかもしれないという危惧にも似た共感を有無を言わさず引き起こされるからに他ならない。
そして今、本作を評するにあたって私自身も行き着く先──つまりはオチを見つけられないままにもっともらしい感想を書き連ねるという泥沼を無様に足掻いている最中である。
この紛れもない純文学である本作にふざけたレビューをつけるとうっかり口を滑らせたばかりに作者様から無段階にハードルを上げられ、己のユーモアと才能に常日頃限界を感じている身としては超絶真面目に書評を行うことにより活路を見出そうとしたにも関わらずどこまで書いてもやはりオチないというジレンマ。
もういっそのこと “(以下略)” を使ってしまおうかというお座なりな締め方に流されそうになりつつも、空に届けと言わんばかりの棒高跳びのバー(旧ハードル)を見上げつつ、玉砕覚悟でそこに挑めば己の新境地へ辿り着けるのではないかと一縷の望みを賭けて助走を始めようかというこの瞬間になって、音もなく忍び寄ってきた睡魔に己の意識を支配されつつあr
なんの希望もなく、なんの望みもない人に、絶望なんてない。
希望を持ち、望みを持ち、それが破れて初めて絶望する。その時人の感情は揺れ動くし、前や後ろ、右や左、上や下など、とにかくなにかしらどこかしらの方向へ進む。
持ち上げて落とす、とは少し違う。
変化に耐えられないで壊れてしまうこともあるかもしれないし、変化がいいことかどうかもわからないこともある。
龍の背中に何を見出すのか、見出すことが出来るのか、それは龍の背中に乗った本人にすらわからないのかもしれない。
……なにが言いたいのかというと、
とっても面白かったです!
ちょっとでも興味を持った方、ぜひ読んでみてください!
タイトルとキャッチからおそらくファンタジーを想像する。異世界転生などとは違うハイファンタジーだ。
が、これはリアルの物語だ。
そして、なるほど。
純文学か……
と、同時に、どこか純ファンタジーを思わせる匂いを感じる。
キャッチのせいか、タイトルのせいか……
う~ん、違うな……
自分が住んでいる世界とどこか違うけど、やはり知っている世界(当然だ、この世界なのだから)、そこで紡がれる出会いと別れ、そして、何故か触れてはいけない世界に触れているような錯覚。
なるほど、面白い。
そして、個人的には純文学にして純ファンタジーとも評価させていただきたい作品だった。
是非、エピローグまで読んでみて下さい。
この作品は紹介するのが非常に難しい作品である。
いつもの定食屋に行って、「おばちゃん、いつものアレちょうだい」と言う人には、薦めにくい。
けれど、おばちゃんに「今日は特別メニューがあるんだよ」と言われたとき「じゃあ、ソレお願い」と言える人には、是非お薦めしたい。
これは珍味であり、決してゲテモノではない。美味か否かを決めるのは、貴方自身だ。
タグの中に、「純文学」がある。だが、これは、純文学好きの人に太鼓判を押すためのもので、純文学が苦手という人を敬遠させるためのものではない。
純文学が苦手な人は、このタグは見なかったことにしてほしい。読み始めてしまえば、問題なくすんなり物語に入れると思う。そして「全然、純文学じゃないじゃん?」と思うだろう。
だが、やはり途中で、「……純文学かもしれない」意見を変えることになると思う。ただし、そのとき、読む手を止めることはない。先が気になるからである。
タイトルに「龍」とあるが、ファンタジー作品ではない。このタイトルの意味は、読み進めれば納得がいく。納得してしまえば、このタイトルはごく自然、それどころか、これ以外あり得ないと言い切ることができる。
具体的な内容を紹介する前に、随分と長文になってしまった。
まぁ、これでいいだろう。要するに、読めば分かる、ということだ。
書き手が、その魂を削って創造した物語。
クリエーターが無から有を生み出すとき、むろんそこには想像を絶する過酷な苦悩が伴います。
今作を読了したとき、知らず肩に力が入っていたことに気づきました。この物語の持つ熱量を受け止めるためには、読み手もその覚悟が必要であったということでしょう。
主人公のカオルと、彼女が出会う人々との出会いを描いています。
読み進めるうちに、絡まった糸がほどけていく。という感覚よりも、むしろさらに複雑化していくイメージなのです。それはストーリーが破綻しているということではありません。人の心の暗部へいざなわれるような、覗いてはならない禁断の地へ足を踏み入れた印象なのです。
だから、面白いのです。
ご安心ください。エピローグが用意されています。
この構成には脱帽です。
タイトルの意味に気づいたとき、溜飲が下がります。
人生の流れを龍とたとえるならば。
その背に少しの間だけ、乗ることが許されるならば。
そのうねうねとした濁流にいっとき、翻弄されてみよう。
乗客の魂もまた、上下左右に揺さぶられることだろう。
その間、龍の背から見渡す深淵に、目を瞑らないことが大切だ。
劈く咆哮に、耳を塞がずにいることが大切だ。
周囲に飛び交う、すれ違う龍。過ぎ去っていく龍。落ちていく龍。途切れる龍。交わる龍……。
ただ一直線に飛ぶ龍なんて、どこにもいない。
ジェットコースターではないのだ。コースなんて定められていない。
それぞれの飛び方で、ただ精一杯、不器用に飛んでいくだけ。
私は乗り物酔いはしない質だが、龍の背から降りた後、くらくらと目眩がした。
自分の龍の背からは、何が見えているだろう。
あなたの龍の背からは、何が見えるだろう。
この作品は、紛うことなき純文学作品である。
純文学とは、物語世界の酒である。
この物語は、作者様の醸成力により、度数は高めだ。
飲みくちはまろやかで、特段、構える必要はない。
さあ、一緒に酔いどれになろう。
ただ、一気に呷ると、悪酔いするかもしれない。
そういう覚悟は必要。