言葉では表現できない、名前も付けられない

 主人公カオルの視点で描かれているけれど、本当はもっと言葉にできないものが文字以外の場所でうごめいているのでしょう。もちろんこの作品以外の一人称視点でもいえることだし、現実の人でも今自分が考えていることを文字ではっきりと認識しているとは思えません。

 そもそも喋っている時だって、言葉にできていそうで、本当は全くできていない。

 名前すら付けられない、言葉にできない感情。そういうのって、お化けみたいだなあ。
 読んでいて、自分のことを表現できない、というのが、実はすべての悩みの根源じゃないかと考えました。社会的なことのような気がしますが、寂しいとか、悲しいとかよりもずっと本能的のような気がします。


 だから彼女は、あらゆる「個性的で極端な人々」に縋るのかな。存在感がはっきりしているから、自分よりも表現することが上手だと思って、少しでも表現する方法を自分の中に取り入れたいと渇望している。彼女がどんな形でも人と関わろうとしているのは、水面や鏡を見てようやく自分の姿を確認できるように、誰かの眼を通して知ろうとしているような気がします。
 でも、そういう風にあがいて苦しんでいる時は、なんだかものすごい理想を描いていて、いつの間にか「自分はこう正しくあるべきなんだ」と脅迫概念を抱いちゃったりするのかしら。
 そこまで考えて、ようやく「あ、この感情は私にも当てはまるな」と思ったりするのです。純文学の定義は、「これはお前の物語だ」と訴えかけてくるというところもあるのかなとちょっぴり思ったり。思わなかったり。何書いてるんだろうあたし。

 ……とにかく、この物語のチャームポイントは、モッさんが出ているところです!
 沢山考えさせられる物語だったので、カッコつけてレビューを書きたかったけれど、見事に粉砕した肥前ロンズでした。

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