皆様
数えてみたら、七か月半ぶりの連載再開です。
特に大きな出来事があるわけではないのですが、
引き続き琴の大学生活、未来への希望と不安を描いています。
今回はそれが、少し具体的になった感じです。
エッセイとして書くとあまりに短いのでここで書きますが、
ここ半年以上、重度のスランプでした。
理由は、「書きたいものが書けない」。
私は基本ビターか、バッドエンドの文芸・文学を好んで読むし、自分でもそういう作品を書きたいとよく思っています。
プロフに書いたように、島本理生さんと、カーソン・マッカラーズが最推し作家なのは、そういう理由です。
フロイトは「文化は人間の暴力性を抑圧するために発展した」と書いた(はず)ですが、私も似たような価値観です。つまり、人間の破壊性と暴力、悲劇と文学、これが個人的なテーマだと。
過去作品でいえば、『Can I Fly? Maybe......,』が、一番近い場所に行けました。島本理生さんの作品、『アンダスタンド・メイビー』の、オマージュ作品として出発し、意図せず西奈の人生観、死生観がたっぷり詰まった別作品に仕上がりました。
それにしては、続く作品群は、手放しのハッピーエンドではないですが、なんとなく暖かい終わり方や、示唆を含むものが多いし、そういう作品にこそ共鳴するものが多々あるわけで。
ではいったいこれは、どの自分なのか?
多面的な自分があるとして、その大きな部分を反映して書けるのが、これしかないのだとしたら、あまりに限定的ではないか。
ようは、自信がなくなったんです。急に。
それが、半年くらい続きました。
そして、書かないことも同じくらいつらいと思い始めたのが、最近。
いざ書こうとして、びっくりしました。ぜんぜん浮かばない、書けない。
世界を遊ばせる感覚ではなく、理論を組み立てる感覚。悪い意味で、硬質。
がちがちにこっていたんですね、きっと。
その苦闘の最中で書いたのが『雨を鳴らす。』(本当は、公募用の別作品のタイトルでした)で、ひとつ鎖が外れたのが『雪を踏む。』でした。
書いてみれば、なんというか、原点回帰といえば聞こえはいいですが、
いつも通り。なるほど、さっさと脱ぎ棄てたい自分(本名)という人間と、
私がなりたい西奈という人間は別物であり、同一なんだと考えると、少し自由になれました。
今では信じられないですが、当初『りん。』は、十話完結予定でした。
それがこんな長期連載として読んでいただけているのにも驚きましたし、
『あたしが沈む空間は。』と並び、休載中にじわじわと伸び、★100越えをしていたのにも驚きました。待ってくださっているとのお声も、いただきました。
定期的に短編を書かないと、二度と書けないような気がするのでその合間合間ですが、またぼちぼち書いていきます。