作品内でルビを振る野暮はしませんけれど、作品外なら現代意訳してもええやんけと思って。
あの作品はある種の心中と言うか、冥婚って感じで。映像にすると二種類の読み方になるように書いてはいるんすけど、その一つ、片方の読み方の紹介を。
間
こうして死の病に臥せっていると、夜は幾重にも過ぎてゆき、とうにこの熱さえも私を疎ましがっているというのに、か弱き処方箋は私を見捨ててしまったのだろう。そもそも、こうして狂い患いながら転げ回るしかないのだ。一昨日(彼方の時)、あの凍える雨に打たれてしまったのだから。さきへ、のちへと戯雨が降る。
あの人と私を覆う唐傘を打つ雨音は、あの時と少しも変わらないのに。ああ、赤く照り映える、亡きあの人の恋衣よ。
前(さき)
唐傘。あの日、二人で差したあの傘の光景をまざまざと思い出せば、もう現世のすべてが酷く色褪せて思える。傘の竹骨と唐の油紙、そこに雨足が激しく打ちつけるにつれて、世界はぐるぐると反転していく。何事かと聞き分けることすらできず、あのように気高く優雅に書き残された文すらも、冷たく袖を振って私を置いて逝ってしまった、あの傘の下にいるのだ。
あの人のために整えられた(弔いの)設えなど、遺されたこの私をひたすら疎んでばかりだ。狭い傘の下で寄り添い、かつてのように重ねた袖口を合わせようとしても、もはや触れ合うことすら叶わぬ遠い彼岸にいる。
あれこれと艶めかしい幻影に惑わされる間に、一体どうして、私の悲鳴だけが雨音を突き抜けて響いてしまうのか。
赤く照り映えるあの人の恋衣に、今はただ狂おしく甘えきって、唐傘へと雨が容赦なく注ぎ込むに任せれば、ああ、それこそがあの人が私に求めていたものだったのだ。どれほど現世に思いを残そうとも、もはやその面影を見ることはできない。
婚儀の三日夜(みかよ)の餅と月。それをあまりに黒く暗いと嘆いていたあの人は、今、黄泉の国から私を呪縛のように詠んでいる。
病に侵された私が死へと手を差し出せば、ことさらに恭しく、大事であるかのように導いてくださる。先ほどとは、一昨日のことすら、知っているのか知らぬのか。
後
翌朝。雨足は彼方の記憶へと逆流し、私はついに、唐傘の外向こうにへと、死の面差しを向けた。
それを知らない、知らないとおっしゃる。然り然り、天は知るまい。然り然り、雨も知るまい。然り然り、尼も知るまい。
晴天に降る冷たい雨の中で、あの人の恋衣だけが消えそうで消えない。
こうして、病に伏せっていると。
どうすればこの狂おしい恋を止められるというのか。雨よ、お前だけは分かってくれと願うしかなく。それでも総てが物珍しげに、全てを見透かしたような顔で死にゆく私を照らしている。
あの恋衣は、黄泉へと誘う鬼盃に似ているのだから、たとえあの人が微笑んで傾けたのだとしても、飲むしかなかったのだ。
尊き神仏の影(尊い方の影⚠)にすがるように、白みゆく朝ぼらけの中、私は独り病に転がり続ける。
さてもさても、なんたる大馬鹿か。誰も彼もが、早く三途の川を渡ってしまえと、私に命じているのだ。他ならぬ私自身が、早く三途を渡ってあの人の元へ行けと、必ず命じることにしているのだ。
ですかね。なら最初からそう書けよォ! は、受け付けない。それとこれは違う。あれは私の美学です、読まれたいに歩み寄る気はないっ! 雰囲気小説って言われたら、違うとは言えるんですけども。
まあ、そんな訳でさぁ。これは、一応読み方の一つとしての最低限のストッパー判断で書いてます。
これはこれで良いんすけど、文脈が減って、同時に伝えたいものが落ちちゃうので、悩ましいもんで。
とまあ、そんな感じです。