こほん。
そうだな、うーん。暇だし糧になる話をしましょうか。
自由間接話法について、ちょっとだけ話します。
自由間接話法ってざっくり述べると地の文に誰か『登場人物』の『主観』を混ぜる技法でして。
単純な心の声とは書き方が違います。文体統一は大前提として、実は『文体統一』が自由間接話法の『真髄』でもないんですよね。
『視点』なんです。
自由間接話法は語り手の視点のようにして『誰が考え口にしているか分からない≠誰が考え口にしているか分かる』の矛盾を成立させるものです。
一人称は世界を見ているカメラは主人公で、語り手(どう捉え、考えるか)も主人公ですよね。
『(オレの見た)推しが燃える姿は華やかだ』
とか。
一般的な三人称ですと。
世界を見るカメラも考えも、語り手により代弁されます。
『推しが燃える姿に彼は魅入った』
とか。
じゃあ、自由間接話法ってなんやねん。
『(彼が見た・オレが見た)推しが燃える姿は華やかだ』
です。
あ、意味不明ですよね。ですよね。
問題は主人公が客観的な視点で語るか、にあって。
例えば『推しが燃えた→くそったれ』みたいな感想(主観)だと自由間接話法って成立しなくてですね。
主観を上手いこと客観的にして、客観を主観で歪めているから境界が曖昧になります。『推しが燃えた』事実に『華やか(主観・客観)』を加えてるんです。
で。これが主観に寄り過ぎると『地の文』との境目がはっきりとして『主観』になっちゃうんです。イメージはシュレディンガーの猫みたいな?
具体的にどうすんだよ、となると思いますが。要するに客観部分を増やして、主観を濁す事。あたかも客観ですよって面で、事実を捻じ曲げる事。
要するに感想(主観、お気持ち)を入れるんじゃなくて、誰かの視点(歪み、認知、主観)を混ぜる技法だよって事。
これがまあ、理屈で理解出来たら早いんですが。要するに不安だった、とか書くな、みたいな話です。
AFKだと、あー。
『ガーネットは誤魔化すようにコメント欄を一瞥する。
(略)
【虚勢はある。偽り、仮面は着けていた。バレている、可能性】』
の、【】この一節とかそう。お気持ちは言ってないんすよね。事実です、ガーネットの視点の歪みの。
もし仮に。
【虚勢はある。偽り、仮面は着けていた。バレている、可能性。それが堪らなく不安だ】
にすると、これ、完全に『心の声』なんすよね。ガーネットの。ピンと来ましたかね? なるべくは噛み砕いたんすけども、ごちゃごちゃしちゃうのも分かるので苦笑
ぶっちゃけ、自由間接話法って種類が一杯あるねん。取り敢えず王道はこれや。後はシームレス、視点ブレにならないような運用とか、視点をもっと大きな概念にしたりとか、奥深いものやからそれぞれ正解がある。
ともあれ。
【AFK 】更新しました。一先ずは明日分もあります。