第13話 Uncelebrated Night ~祝われない夜~

 バー《エンドライン》の時計が、二十三時五十分を指していた。


 針の動きは遅いが、止まらない。

 時間は、どんな時でも正確。

 ときには残酷なほどに……


 ロゼはカウンターに座ったまま、グラスの底を見ていた。

 中身はもう残っていない。

 机の上には、水の薄い跡が、円を描いている。


 この時間になっても、アルは姿を見せなかった。


 理由を考えないようにしていたわけではない。

 考える必要がないと、思っていただけだ。


 これまでも、約束の時間にアルが遅れることはあった。

 仕事の性質上、それは珍しい話じゃない。

 だから待つ。

 それだけだった。


 カウンターの向こうで、カラエフが動いた。


 皿を一枚置き、その上に白い箱を乗せる。

 箱を開けると、中にはホールケーキがあった。


 飾りは簡素で、中央に、蠟燭が一本だけ立っている。


 カラエフがポケットのライターを取り出し、蠟燭に火を灯した。


 小さな音がして、炎が立ち上がる。


「実はね、あの人に頼まれてたのよ」


 それだけ告げて、カラエフは一拍、間を置いた。

 ロゼを見ないまま、静かに言う。


「Happy Birthday, Rosetta」


 炎が、わずかに揺れる。


 ケーキを置くと、カラエフは奥へ下がった。


 ロゼは、動かなかった。

 視線は、蠟燭の炎に向けられている。


 胸の奥で、何かがゆっくり広がっていく。

 重く……

 息をするたびに、少しずつ場所を奪ってくる。


 安心と呼べるものは、もうなかった。


 ロゼは瞬きを一度だけした。

 視界は変わらない。

 蠟燭は、まだ燃えている。


 祝うつもりはなかった。

 願い事をする気もない。

 それでも、目を逸らせなかった。


 炎の向こうに、アルの顔が浮かぶことはない。

 ただ、時間だけが流れていく。


 ロゼの表情が、わずかに揺れた。

 眉が動き、口が開きかけて、閉じる。


 深く息を吸おうとして、やめた。

 浅い呼吸を、何度か繰り返す。


「チッ」


 ロゼは、小さく舌打ちをして、立ち上がった。


 ケーキには触れない。

 皿も動かさない。


 蠟燭の火を、指で摘まむようにして消す。

 煙が細く立ち上り、すぐに消えた。


 ロゼはジャケットを掴み、肩に掛ける。

 足は迷わず、出口へ向かう。


 カラエフは何も言わなかった。

 視線も向けない。


 ドアを開けると、夜の空気が流れ込んできた。

 冷たく、乾いている。


 ロゼは一歩、外へ出た。


 通りは静かだった。

 灯りは少なく、遠くで誰かの足音がした気がしたが、振り返らない。


 待つのは、もう終わりだ。



(つづく)

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銃声の中で、眠れ。— Sleep Where the Gunfire Is — 三毛猫丸たま @298shizutama

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