ああ……、で、言葉が詰まる。
本作のどこに魅力を感じるかは、それこそ読者によるのだが、およそ昭和の序盤から戦後まもなくくらいであろう時分を背景とした設定がまず私の気を惹いた。何となれば、私は昭和四十七年生まれで、自分の親や祖父に当たる世代からとぎれとぎれにそうした時分の話を聞いてきたからである。
そんな折に、昭和どころか江戸の風味を……苦い形で……遺した家を、主人公達の『水槽』とするのは当然の考察ではある。が、ここでは少しひねって、『井戸』としたい。水が湧きはするが、人手をかけない限り水位は上がらず、縁から溢れることもない。そして、水の代わりに血という名の思索が湧く。
そんな代物は、文字にし作品にした瞬間、飛んでいくか燃えてしまうかしか仕方ないではないか。
読むたびにしみじみ思う。夢見里先生の筆致は、常に溢れ常に焼いている。
必読本作。
瀬戸内海をのぞむ斜陽の炭鉱町、金魚、座敷牢。
死んだようなモノクロの町で、少年が描いた金魚だけが赤い。
文字が語る映像美とレトロ感。
少し悲しくて寂しくて、懐かしい。
こういう世界、良きですね。
はにかみながら語られる、方言の対話。
少年たちがいる街の閉鎖感や暗さが伝わってきます。
命を燃やす赤と、金魚の赤、血の赤。
ホラー、ミステリー、幻想譚、ぜんぶあるのだけれど、互いを想う情念を貫く、彼らの幼い切実さが、とても好きです。
陽の目を見ずに生を終える宿命に、どういう形で抗ったのか。
囚われた者、解放する者。
虚像と、実体。
幾重にも『うねり』が仕込まれており、読み応えがありました!
この作品をホラーと分類するか難しいところではあります。昨今ではホラーは恐がらせるものと思われがちですが、その本質は恐怖だと自分は考えています。
そして、恐怖とは人の奥底にある未知への畏怖であり、その根底には人の業があります。本作品はその部分を見事に描いており、自分はホラーであると断言します。
さて、本作の舞台設定は座敷牢であり、主役は囚われのギンと世話役の隼人です。それは金魚鉢や小さな桶とその中で泳ぐ金魚と対比されているのだと自分は感じました。みなが解放されることのない金魚なのだと。
狭い世界の中しかしらない金魚を憐れむ隼人。その憐憫は同じ境遇であるギンにも向けられる。でも、それはきっと隼人自身も同じで、そこから解放されるためには燃やさなければならなかった。
その燃やしたものこそ人の業。
いったい何を言っているんだと思われることでしょう。
それはみなさまが実際に本作を読んで確かめてください。