第50話 決断

 目をつぶって意識を手放したヘリットは眠りの世界にいた。すべての音が消え、ただ吹きすさぶ風の音だけが耳を通り過ぎていく。ヘリットの立っているのは荒涼とした大地だった。

 その大地は多数の白い骨で埋め尽くされていた。

 風の音が、すすりあげるような嘆きの声となり頭の中に充満する。


 どこからか独りの少年が小さな果実を胸に抱きかかえながら、裸足で歩いてきた。ヘリットが見えないのか、彼は荒い息をしながら骨を踏んで進んでいく。

 後ろから、剣をもった男が走ってきて少年を突き飛ばした。手から果物を奪おうとするが、少年は抵抗して果物を渡さない。


 ヘリットは少年を救おうと男の背後からしがみつくが、男を突き抜けて地面に投げ出された。二人にもヘリットの姿は見えないようで、何度繰り返してもヘリットは少年を救うことができなかった。

 剣が走り、飛び退いた少年の手から果物が落ちる。

 ころころと地面を転がる果物。男が拾おうとしたときに、走り寄った野犬が男の手に噛みついて瞬く間に果物を奪い去っていった。


「ちっ」


 男は肩を落して去って行く。見れば体中に刀傷が走り、数カ所から膿が流れていた。少年は呆けたように地面に這いつくばっている。


 これが、過去の人々が見た光景か。ヘリットは呆然と立ちすくむ。

 あの時野犬が奪わなければ、きっと二人はあの小さな果物を巡って殺し合っていたかもしれない。野犬に奪われたことによって、同胞どうしの争いは避けられた。

 まるで今のヘリット達が暮らしていた社会。

 魔の出現によって、同胞どうしの殺し合いが制御されていた社会、みたいに。


 人が増えると自分たちの力ではどうにもならない欲望に支配された世界になる。いにしえの人々はそれを知っていたからこそ、願いによって魔を作り上げた――。そして憎しみの矛先を変え、人同士が諍うことを避けた。

 今までそうやって保たれてきたこの世の中の仕組みを壊す罪。

 それを担えるか?


「いや、それは見てはいけない夢だったんだ。どれだけ悲しい目にあっても、自分たち自身がなんとかしないと、魔に頼るような仕組みはいつか破綻する」


 いや、もう破綻している。

 魔に怯える事が無くなれば、ヘリットのすむ社会は大きく変わっていくだろう。魔の出現間隔よりも短い時間で大きな戦争や無数の悲しみが繰り返すかもしれない。

 でも。

 目の前の少年はゆるゆると立ち上がった。そして果物を探しに行くのか、来た方向に戻っていく。その目には、逆境に負けない強い意志が感じられた。




 ヘリットの目の前から幻影が消える。

 目の前には黒いじゅうたんを敷き詰めたような魔族の群れ。

 魔を殲滅する。夢見が作った機構からは決別しなくてはならない。

 ヘリットの心が決まった。

 彼は両手を天に掲げて叫んだ。両手には白く輝く炎が揺らめいている。


「夢見よ、実体のない哀れな夢の塊よ、すべての罪を我が手に委ねたまえ」


 獏神の目が金色に輝く。

 その光りは、天も地上もすべてをまばゆく包んだ。

 魔族はその光りに照らされると、何かに吸い込まれるように音もなく消えていった。


「やったわ、ヘリット」


 あまりの劇的な効果にシュリンがヘリットに抱きつく。

 満面の笑みを浮かべてミホスが走ってくる。そして歓喜の曲をかき鳴らしてライカが降下してくる。

 目を開けたヘリットが見たものは、かき消すように軍勢がいなくなった原野だった。


「いや」


 ヘリットはゆっくりと顔を横に振る。そしてやってきた彼らの背後を指した。


「これからが、始まりだ」


 指の先にあるのは、王宮の上に残ったどす黒い雲だった。

 雲から滝のように降り注ぐ原初の闇は留まるところを知らなかった。それはたちまち王都を満たして、門からオークの姿になってあふれ出た。


「まだ、残っていたのか」


 ミホスが、剣を持って振り返る。


「やめろ、彼らは魔に姿を変えた王宮の人々だ。死人すら魔に姿を変えて復活している。そして悪い事に――先陣をきって攻めてくるのは聖獣家の当主たちだ」

 

 今にも剣を振り上げて走り出しそうなミホスを制したのは偵察を終えて上空から舞い降りてきたマイヤだった。

 よく見れば、先頭のオークは炎を吐き、上空から真っ黒な龍が雷を走らしている。ビュウビュウ吹付ける風は鳳凰家の力か――。


「こうなると、わかっていたが、まさか父上達が魔族になって出てくるとは思わなかった――こうなれば勝ち目はないな」


 ミホスは自虐的な笑みを浮かべてヘリットを振り返った。


「さあ、もう一度出番だ。獏家の旦那。白い業火で俺たちの心を焼き尽くせ」

「頼むわ、一瞬でやってね、じりじり意識を取られてこの世への未練をかき立てられるのはいやだから」

「これが獏家の使命です。後悔する必要はありませんよ、ヘリット」


 少し離れた場所でライカは辞世の曲とばかりになにかを夢中で演奏している。マイヤはそっとライカのそばに行き、腰を下ろした。

 聖獣たちの心を喰わなくても良い選択――。それは手の中の白い業火を使って魔になった人々の心を白く塗りつぶすこと。だが、彼らは魔ではなくなるが、欲を無くした意志の無い人形に成り果てる。それもまた人の滅亡に他ならない。


 ヘリットは自分だけに見える手の上に揺れる白い炎に目を落した。

 この方法を使わないのであれば、やはり四聖獣家を――。


 いやだ、仲間をこの手で葬るのは。

 今まで生死を共にして、ののしりあって助け合って、すべてをさらけ出したうえで強く結ばれた仲間たち。彼らを葬ることなんてできるはずがない。

 白い業火で人々の心を白く塗りつぶす、簡単なことじゃないか。

 魔は消える。デリットがいなくても以前みたいに何とかなるかもしれない。

 彼の心が、大きく傾く。

 一方、こんな大切な決断をいい加減な根拠で下してしまうことへの抵抗が心の中に湧き上がる。

 どちらもだめだ。でも、他の方法があるのか? こんな何にもできない能力のない僕が新たな解決法なんて見いだせるはずがないんだ。

 ああ、どうしよう。早く決断しないと。


 ヘリットの心臓は激しく音を立てて身体を震わせる。荒くなる息。頭の中に様々な思いが渦を巻き、ヘリットの視界を暗くした。


――君はいつまでヘロヘロ獏のままでいるつもりだい。


  不意に目の前で長い髪の痩せた青年が微笑んだ。


――実は考えていることがあるんだろう? でも、自信が無いから心の奥に封じ込めて、頭に浮かび上がらせないんだろう。結果を恐れずに、自分に正直におなりよ。


 その面立ちは若い頃の父、そして自分に似ていた。


――大丈夫、自分を信じて。君なら、できるよ。


「もしかして、あなたは――ヘルート?」


 幻影はにっこりと微笑んで消えた。

 ヘリットは我に返る。幻想の余韻に浸っている暇は無かった。


「新しい方法なんて、ぼ、僕には思いつかないよ――」


――できる。ここまでやってこれたお前なら。覚悟さえあれば。

  いいか、忘れるな。無いという力は、無限の可能性を内に秘めていることを。



 頭の中で重々しい声が響いた。うっとうしくていつも避けてばかりいた父親、でも大きな心で僕を信じてくれていた――跡継ぎが嫌だと逃げ出した、意気地なしの自分を。

 ヘリットの目が急に開かれた。


「そうだ、僕は逃げ出した。跡取りだけが人生じゃないと思って。そうだよ、提示された答えだけが答えじゃない。親父も言っていたじゃないか、無いという力は可能性を秘めていると。空っぽで何にもとらわれない自分だからこそ、作り出せるものがある。自分が選ぶ道は与えられて選ぶものではない、自分自身が作るんだ」


 人々の心を浄化する新たな方法、聖獣の心を白い業火で塗りつぶさなくてもいい、他の手立てが何かないだろうか。

 いや、あるはずだ。心を塗りつぶす以外の、塗りつぶす以外の――。

 ふと、ビアン・モーン登頂の前に泊まった宿屋の主人の言葉が頭に蘇った。


『わしは塗り込めようとしていたんだな、無理矢理上から色を塗って、悲しい記憶を忘れようと。だが、わしのやるべきことは元の記憶を蘇らせて乗り越えていくことだったんだ』


 そうだ、シュリンだ。彼女の力を借りて魔のもとになっている過剰な欲を洗い流すんだ。

 汚れた傷、そして呪いにかかった心までも浄化する、一角獣家の能力を使って。

 ヘリットは叫んだ。


「みんな、ちょっと待ってくれ。その前にやってみたいことがあるんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年1月22日 00:00
2026年1月23日 00:00
2026年1月23日 00:00

ヘロヘロ獏と言わないで 不二原光菓 @HujiwaraMika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画