余韻を残す、静かなファンタジーだと感じました

とても静かで、やさしくて、少しだけ皮肉が混じった、不思議な読後感の作品だと思いました。

「21st Century」と題された北欧のセピア色の街、石畳の坂道、驢馬の吐く熱い息――時間がゆっくりと酸化していくような描写が、現実と幻想の境界を自然に溶かしています。現代でありながら懐かしく、どこにも属さない場所。その曖昧さが、この物語全体の基調音になっています。

喫茶店の場面では、会話の軽さと視線の鋭さが同居しています。
ヨウコさんの冗談と、それを受ける女性の間合いは日常的なのに、彼女の背から立ち昇る「淡いピンク色の光線」によって、世界は一段階ずれる。ここで読者は、ヨウコさんが“見てしまう側”の人間であることを、説明ではなく感覚で理解させられます。このさりげなさがとても巧みです。
光線=オーラの描写も、単なるスピリチュアルでは終わっていません。
教師、上司、老女、営業マン、コンビニ店員……社会の断面を構成する人々が、それぞれ異なる色を帯びている。その色は善悪の単純なラベルではなく、「その人が背負ってきた生き方の沈殿物」のように感じられます。とくに、青い制服から虹色が立ち昇る中年女性の描写には、名もなき善意や生活の重さへの静かな敬意が滲んでいて、胸に残りました。
一方で、世界的権力者たちがテレビ越しに放つ赤と黒の光線は、寓話として非常に辛辣です。
彼らは「地球人ではない」という設定によって、非人間化されると同時に、責任を宇宙規模に拡張されている。これは単なる風刺ではなく、「人類のふりをした何か」が世界を歪めてきた、という痛烈な認識表明にも読めます。
終盤の「巨星墜つ」と天誅のくだりは、爽快でありながらどこか寂しい。
悪しき存在は回収されるけれど、世界がそれで救われるわけではない。その事実を、ヨウコさんは淡々と受け止めている。彼女自身もまた地球外由来でありながら、この胡乱な星に静かに暮らしている存在だからでしょう。
全体としてこの作品は、
「世界は壊れているけれど、それでも人の中には光が立ち昇る」
という、祈りに近い感覚を、押しつけがましくなく描いています。
派手な救済も、明確な結論もない。
けれど、朝のモーニングセットの湯気や、名もなき人の背に揺れる色彩が、確かに世界を支えている――そんな余韻を残す、静かなファンタジーだと感じました。