たまには、近況ノートで創作論について語るぜ、みたいな感じです。
先日、RAYさんのエッセイ『大人のブラックボード』第28話で「一人称の語り部不在なら地の文は三人称?」https://kakuyomu.jp/works/1177354054886407320/episodes/1177354054886951120
というのがありまして、コメントとして解答してきました。
質問の内容としては、一人称小説で、語り部すなわち主人公がいない場面を描写する場合、視点はどうなるのか?というもので、それについて複数の方がコメントにて考えを述べています。
ぼく自身の解答としては、「一人称小説は主人公の見たこと聞いたことを語るものであるから、基本的に主人公がいない場面は描写すべきではない。そもそもがそういうものではない」というものでした。
まあ、これは考え方として、かなり正確だと思います。が……。
つらつら自分の一人称小説を思い起こしてみるに、主人公視点以外で書かれているものも、かなりあることに気づきました。
まずはこれ、『宇宙海賊☠キャプテン・モーモー』https://kakuyomu.jp/works/1177354054896079428
ネタバレになるので、どことは書きませんが、「解説」になっている部分があります。本編はほぼ主人公視点の一人称で描かれているのですが、一箇所だけ作者視点の解説がぶちこまれています。
ぼく自身としては、あの部分は主人公に語らせるわけにはいかないな、という判断のもと、ああいう描写にしたのですが、あれはあれで面白かったろうと思ってます。
また、現在連載中の『マキタ・クエスト《完全版》』https://kakuyomu.jp/works/1177354054918326784
こちらにも最終話で、ちょっとおかしな視点があります。「おいそりゃ変だろう」と突っ込まれること請け合いなのですが、あれはあれで面白いかな?と。この部分は明日公開です。
またさらに、『電動マッッッハ!!!』でもあります。全部かよ……。
ここでは、レース中、大クラッシュが起きるの場面で、主人公視点ではなく、レースの実況放送で解説するという方法を使いました。https://kakuyomu.jp/works/1177354054886317393/episodes/1177354054886488248
ということを思い出してみると、もしかすると一人称小説というものは、視点や人称は主人公に絶対固定で、その基本は踏まえなければいけないのですが、案外そこから外れた技法を駆使することによって、三人称小説より遊べるのかもしれないなぁと思いました。
って、今回の結論は、ただそれだけの話なんです……。
で、ぼくは三人称で小説を書くことが多く、その中での人称は案外不統一でありまして、結構いいかげんにやっているんです。
よって、「人称は統一せにゃあかん!」という意見は嫌いだし、人称だのカメラ位置だのにうるさい人も大嫌いです。小説は映画じゃねえからカメラなんかねえんだよ!
ちょっと興奮しました……。
さて、三人称で書いている小説『ときめき☆ハルマゲドン』https://kakuyomu.jp/works/1177354054888988799なんですが、こちらは主人公が二人います。基本この二人の視点で交互に描かれています。が、主人公二人以外にも、たまに脇役の方に視点キャラになってもらっている場合があります。
エピソードごとに視点となるキャラクターが変わる形態で、エピソードの冒頭の見出しを利用して、だれの視点であるかをなんとなーく表記しています。
また、視点となるキャラが変わった場合、極力一行目で、新しい視点キャラの名前を主語とする一文を入れてあげるくらいの気遣いは、読者に対して必須だと思います。
ぼくの場合は、エピソードによってはかなり一人称的な描写になっていて、第三章第67話「エレベーター・アクション」https://kakuyomu.jp/works/1177354054888988799/episodes/1177354054890237987では、珍しく召喚士のイガラシの視点になっているのですが、このエピソードでは、特にイガラシの一人称的語りが多く、主語が「あたし」になっている一文もあります。
余談ですが、三人称で一人称的描写をするにあたり、人称警察からの警告をおさえる小技として、「あたし」や「おれ」の部分を文章から抜いたり、あるいは「自分」で代用するという小技も存在します。そこまでするなら、素直にキャラクター名や「彼」でいい気がしますが。
たとえば、
あたしは彼のことが、本当に大好きだ。
という一文。三人称なら、
彼のことが、本当に大好きだ。
としてしまえばいいわけですね。つまり、「あたし」とか「おれ」とかを使っていなければ、検挙されないというわけですよ。つまり、文脈によっては主語がなくても文章が成立します。それが小説です。っていうか、それが日本語か?
また、エピソードの中で視点キャラを変えるのは良くないという意見もありますね。あれはたしかにNGです。が、これもやってやれなくはありません。が、かなり難易度が高いです。
一応、『ときめき☆ハルマゲドン』の第4章に視点キャラを変更しているエピソードがありますが、思いっきりネタバラシ回なので、アドレスは書かないでおきます。既読の方は、死織が手口を解説するお話を思い出して閲覧ください。ヒチコック視点ではじまってエピソードが途中から死織視点になっています。で、ここ、実はどっちの視点でもいいのてすが、ラストの一行がヒチコックについての描写になっています。ヒチコック視点のエピソードであるので、ここは本来ヒチコックが主語のヒチコック視点で描かれた文章とすべきなのですが、そうすると却って違和感があります。そのため、この一文はもうカゲロウ視点で書いています。
というような感じで、今回は近況ノートで人称視点について語りました。
まあ、思ったことをつらつら書き綴っただけですので、こういう考えもあるんだな、程度に読んでおいてください。