ご無沙汰です。
本編の更新は少しお休みです。
※今回は本編とは関連のない現代ifです。
更新の合間に、お楽しみいただければ嬉しいです🌙
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待ち合わせの時刻より三十分も早く、夜姫は約束の場所にいた。
だってだって、待ちきれなかったのだ。
この日のために、白いワンピースも新調した。
まさか自分の人生に、こんな日がやって来るとは思ってもみなかった。
坂の上の通りへ目を向ける。
揺れる街路樹の隙間から、一台の車がゆっくりと姿を現した。
深い色をした艶消しの、長い車体。
陽の光を滑らかな曲面に細く弾きながら、車は夜姫の前へ音もなく寄せてくる。
「……わぁ」
低く響いていたエンジンの気配さえ、止まった途端に静寂へ溶けた。
やがて運転席の窓が静かに下がる。
片腕をハンドルへ預けた天照が、こちらを見た。
「アマテラス様!」
夜姫はぱっと顔を輝かせて駆け寄った。
「……買った車って、これなんですね。あの、とてもお似合いです。
すごく……すごくお似合いです!」
一度車体へ目を戻す。
「何色なんですか、これ……綺麗。いえ、格好いいです!!」
「ああ……少し、気に入ってな」
夜姫は一歩離れ、改めて車体を眺めた。
「……素敵ですね」
「早く乗れ。暑いだろ」
「はい」
返事をしながらも、惜しむように前から後ろまで眺めてしまう。
大きいのに威圧的ではない。妙に静かで、隙がない。
なんとなく目の前の男に似ている気がして、夜姫は小さく笑った。
「何だ」
「いえ、何でもありません」
ほんの少し不機嫌そうに聞こえて、夜姫は慌てて助手席へ回った。
扉を閉じる。
最後のわずかな隙間まで吸い込むように、重いドアが静かに閉まった。
途端に、外を走る車の音も、人の声も遠くなる。
「わぁ……」
夜姫はシートへ身体を預けながら、きょろきょろと辺りを見回した。
柔らかな革。艶のある木目。金属の縁を纏った大きなディスプレイ。
外から見た以上に、車内は広く感じられる。
「中も綺麗ですね……」
指先でシートに触れてから、天照を見る。
「なんていう車なんですか?」
少し間があった。
「…………マイバッハ」
「まい……ばっは?」
聞いたことのない響きを、そのまま繰り返した。
「それ、有名なんですか?」
「知らん」
「ふーん……買ったのに?」
夜姫は数秒、天照の横顔を見つめた。
天照はセンターディスプレイに地図を開き、何かを確かめている。
口元が緩みそうになるのを堪え、夜姫はまた車内を見回した。
「あ。音楽をかけてもいいですか?」
天照が小さく頷く。
夜姫もディスプレイへ指を伸ばすと、やがて軽やかな音楽が流れ始めた。
「音も綺麗なんですね」
楽しそうに画面を触っていた夜姫は、そのうち背もたれへ深く身体を沈めた。
「気持ちいい……」
そう呟きながら、両手で自分の肩を軽く擦る。
天照の視線が、ほんの一瞬だけそちらへ流れた。
何も言わず、助手席側の温度を、少しだけ上げた。
夜姫は気づかないまま、窓の外を眺めている。
「今日は、どこへ行くんですか?」
「海でも見に行こうか」
横を向いた顔が、一気に明るくなった。
「嬉しいです! 行きたいです!」
「なら決まりだ。行くか」
「何か美味しいものも食べましょう。甘いものも買って、海辺に座って……あ、少し泳いでみたいなぁ!!」
「泳ぐのか? 俺は見てるぞ」
「ええ……じゃあ、じゃあ私もやめます!」
「泳ぎたきゃ、泳げばいい」
「……一緒がいいんです」
天照は何も言わなかった。
「……帰りは夕日も見たいです」
「いいな」
「……やった」
満足そうに笑った夜姫は、再び車内を見回す。
やがて、その視線が運転席の前で止まった。
液晶の中に並ぶ数字や表示をじいっと眺め、首を傾げる。
「アマテラス様……」
天照の視線だけがこちらへ向いた。
「これ、速いのですか?」
少し間があった。
「…必要なだけは」
「………へぇ。それは……」
もう一度、速度計を見る。
それから天照を見る。
「……飛ぶより?」
今度は天照が黙った。
わずかな間のあと、口元だけがふっと緩む。
「どうだかな」
それ以上は答えない。
何事もなかったようにハンドルへ手を置いた。
「出すぞ」
「はい!」
長い車体がゆったりと動き始める。
夜姫はすぐに窓の外へ顔を向けた。
街路樹の緑が、陽の光をちらちらと弾きながら流れていく。
海へ行く。
ただそれだけで、胸のあたりが妙に浮ついていた。
「…………楽しい」
ぽつりと漏らす。
少しだけ間があった。
「……珈琲でも買って行くか」
夜姫が振り返った。
「私は、ミルクたっぷりで」
「ラテだな」
長い車体はほとんど音も立てず、午後の街へ滑り出していった。