「おはようございます、旦那様」
「ああ。……その、なんだ。よく眠れたか?」
「ええ。とても良い寝台をありがとうございます」
翌朝、広い食堂に赴くと旦那様が食前のお茶を飲んでいました。
十歳にして当主である彼はいわゆるお誕生日席。
周りには使用人がおりますが、見るからに寂しそう。
わたくしは旦那様に一番近い奥の席に座って微笑みます。
「これからは一緒のお食事ですね?」
彼の目がまん丸に見開かれて、
「ふん。オレには仕事があるからいつも一緒とは限らないがな」
「それは……。旦那様は普段、どのように過ごしていらっしゃるのですか?」
「昼間はだいたい執務室だ。
執務があるし、勉強もしている。後は剣の稽古や乗馬の練習をすることもある」
「目白押しですね。昼食はきちんと食べていらっしゃいますか?」
「お前に心配される覚えはない」
公爵家の食事はとても美味です。
量もたっぷりで、残すのが申し訳ないくらいです。
貴族のマナーとしてはむしろ食べきるのがマナー違反なのですけれど。
旦那様の食事量はそれを加味してもなお少なめのように思いました。
わたくしとさほど食べる量が変わりません。
育ち盛りの男子としてこれは由々しき事態なのでは。
やはり人にとって「食」はなにより大事なもの……と。
「それじゃあ、くれぐれも大人しくしていろよ」
「旦那様。わたくしは旦那様をお助けしたいと思っております。
お任せいただける仕事があれば遠慮なく割り振ってくださいませ」
「必要ない。お前は家の中のことだけやっていればいい」
食後のお茶もそこそこに退室して行く彼。
ふむ、家の中のことだけ、と。
「ということは、屋敷内の差配はわたくしの管轄──ということでいいのかしら?」
屋敷のメイド長に尋ねると「左様でございます」と返事がありました。
「坊ちゃまは不慣れなご様子ですので、ぜひお力をお貸しいただければ」
「そう、わかったわ」
であれば、このお屋敷においてはわたくしが一番偉いということです。
「では、この屋敷の使用人を可能な限り、すべて集めてもらえるかしら?」
◇ ◇ ◇
警備の人員など動かせない一部を除いた全員にわたくしはあらためて挨拶をしました。
「リオナと申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたしますね?」
視線が集まる中、にっこりと微笑んで。
責任者クラスの紹介を受けながら軽くメモを取ります。
……なるほど、良くわかりました。
「奥様。いかがでしょうか? ご満足いただけましたか?」
「ええ、とても良い時間でした」
解散を命じると使用人たちはほっとした様子で部屋を出ていきます。
中には「なんだったんだ?」と首を傾げる者も。
さて。
残ったのはわたくしとメイド長、一人のメイドだけ。
「わたくしは公爵家に嫁ぐにあたり、使用人を一人しか連れてきませんでした。
ですので、身の回りの世話はこちらのメイドに任せることになります」
「はい。使用人一同、奥様のご命令に従う所存でございます」
「そう。……では、こちらに記した使用人を本日付で解雇しなさい」
一覧を手渡せば、メイド長は目を丸くします。
「……奥様。いつの間に観察なさっておいでに?」
「もちろん、ついさっきよ」
渡した紙には名前、あるいはその人物の所属や外見的特徴がわかりやすく記してあります。
「わたくし、見聞きしたことなら余さず把握できるのです」
当主の正妻に対して「たかが伯爵家の娘が」「まだ子供じゃない」などと小声で囁きあったメイド。
部屋から出る人の列の中、前の人を「早くしろ」と蹴とばした兵。
午前中だというのに女の香水のにおいをかすかに漂わせていた執事など。
もちろん、タネも仕掛けもあるのですけれど。
「やる気のない者は無意味どころか悪影響です。
幼い公爵夫人に文句があるのであれば実家に帰っていただきましょう」
「短期的に人手不足が発生する恐れがありますが」
「公爵家の体制はそれほど甘くはないでしょう?
もしそれでも雇用が間に合わないようであれば、わたくしの実家から融通していただきます」
「奥様の仰せのままに」
僅かな確認をした以外、メイド長はなにも言ってきませんでした。
彼女の把握している問題児情報と大きな狂いはなかったのでしょう。
大きな失態のない者を理由なく処分するのは難しいもの。
けれど、新しく来た当主夫人が采配を振るったのなら話は別。
上に立つ者が変わったことで体制や方針が変わるのはよくあることです。
わたくし、わがまま放題をするつもりはありませんけれど、無能を許す気もないのです。
管理職経験もありませんが、ブラック企業に勤めておりましたので「だめな上司・同僚・部下のパターン」はそれなりに存じているつもりです。
問題児を先んじて放り出し、気分もすっきり。
嫌なことを早めに終わらせたところで、本命の指示に入ります。
「料理長のところに案内してもらえるかしら?」
◇ ◇ ◇
「これはこれは奥様、このようなところにどうなさいましたか?」
先ほどの招集にも顔を出していた料理長。
料理長は初老の男性。
若い頃に城勤めをしていたこともあるという彼は再び現れたわたくしの顔に「まだなにかあるのか」と若干怪訝そうにしました。
わたくしはそんな彼ににっこりと微笑んで、
「実は、旦那様への差し入れを相談させていただきたいのです」
「坊っちゃんへの差し入れ、ですか?」
「ええ。どうやら旦那様は小食でいらっしゃるようですので」
男の子だし、激務なのだからもう少し食べて欲しい……と打ち明けると、料理長はなるほどと頷いて、
「坊っちゃんの食が細っているのは私も気にしていたのですが、あれこれ試してみてもなかなか効果がなく……。何かいいアイデアがおありですか?」
「食べていただけるかどうかはわかりませんけれど、わたくしにひとつアイデアがございます」
野望である「カツ丼の再現」に向けてまず必要なのは腕の良い料理人です。
材料や設備があっても料理人がいなければ意味がありません。
ですので、公爵家の料理長と仲良くなっておくのは必須事項。
それから、現時点で作れそうな料理をひとまず試してみたいというのもあります。
「して、そのアイデアとは?」
料理長、心なしかわくわくしているような。
期待されるとこちらも気分が弾んでまいります。
「はい。『カツサンド』という料理を作ってみたいのです」
この国は昔のヨーロッパ風の文化を持っており、主食はパンです。
あくまでも「風」なので分野によって発展度も近しい国もまちまちなのは悪しからず。
ともあれ。
パンがある、ということはパン粉もあります。
豚肉も食べられていますので……あれです、あれなら作れるのです!
そう、トンカツ!
そしてカツサンドと言えばこのトンカツを、
「なるほど、シュニッツェルをパンで挟んだ料理ですか」
既にトンカツに似た『シュニッツェル』という料理は存在しています。
具材をパンで挟むというアイデアも珍しいものではありません。
貴族家では必要が薄いのであまり用いられませんが、平民の間ではありふれているそうです。
ですので、料理長もこれ自体は驚きませんでした。
「具材とパンと一体にして食べやすくすれば短い時間でたくさん食べられるでしょう?」
ただ、
「仰る通りです。ですが、それには問題がありますね」
「あら、それは何かしら?」
「パンです。シュニッツェルとパンを合わせると食感が硬すぎます」
この国で食べられているパンは主にバゲット系のパンなのですよね、実は。