「お前を愛する気はない。いいからオレの邪魔をせず大人しくしていろ」
大勢に祝福された結婚式の後、旦那様となった方から告げられたのはそんな言葉でした。
──リオナ・フォン・カトレア伯爵令嬢。
伯爵家の次女として生まれ、何不自由なく育ってきたわたくし。
齢十三にして訪れた縁談により、晴れて公爵様の正妻となったのですが……。
結婚したお相手である公爵様は『十歳の男の子』で。
おまけに、わたくしのことなど全く愛していないご様子でした。
なるほど。
頷いたわたくしは「かしこまりました」と笑みを浮かべます。
横暴な発言をするつもりだったとはいえ緊張してたのでしょうか。
公爵様はほっとしたように息を吐きます。
「素直だな。さすがは才女と名高いリオナ・フォン・カトレア──」
「であれば、わたくしは趣味に邁進させていただいても構いませんね?」
「は?」
わたくしは「今しかない」と彼に向けて尋ねました。
「予算はいかほどいただけるのでしょうか? わたくし、どうしてもやりたことがございまして」
「お、お前、オレの話を聞いていたのか!?」
「もちろん承知しております。浮気をしたり、公爵家の名に泥を塗るようなことはいたしませんのでご安心を」
服や宝石に散在するつもりもございません。
まあ、もしかするとそれ以上に要りようになるかもしれませんけれど。
「な、なら、いったいなにに金を使うつもりだ!?」
「それはですね……わたくし、どうしても食べたいものがございまして」
「食べたいもの? なんだ、それは」
わたくしは、至福の笑みと共に宣言いたしました。
「それは『カツ丼』でございます」
転生してから十三年の悲願──とうとう本格的に達成に乗り出す時が来たようです。
◇ ◇ ◇
わたくしの前世は日本というところで平凡に暮らす一般人でした。
趣味は食べることで金に糸目はつけない生活。
特に有名店や高級店には拘りませんが健康にもあまり気を遣っておらず……。
務めている会社がブラックだったのも食事量から歯止めを奪っていたように思います。
死因は、階段で転んで頭を打ったこと。
運動不足とカロリー過多によるぽっちゃり体型でなければ防げたことでしょう。
この教訓を生かし、今回の人生では健康には気を遣っております。
ともすれば太ってしまいがちな貴族社会にあってすらりとした体型を維持してこられたのはひとえに「あの二の舞はごめんだ」という想いがあったからです。
ですが、一番の大好物が食べられないのだけは苦痛で仕方ありません!
──カツ丼。
トンカツというそれだけで上等な料理をさらに割り下に浸からせ、卵を纏わせて。
おまけに丼に盛ったご飯の上に乗せるという贅沢すぎる一品。
某トンカツチェーンはもちろん、お弁当屋さんにコンビニにスーパー、すべて合わせたらいったい何食のカツ丼を食したことでしょう。
その大好物を、今世ではまだ一度も食しておりません。
わたくし、さすがにそろそろ我慢の限界なのです。
◇ ◇ ◇
「というわけで、わたくしはなんとしてでもカツ丼を作ってみせます」
「いや。『というわけで』と言われてもわからないことだらけだが!?」
深夜。
後はお二人だけで、と寝室に残されたわたくしたちは話し合いの真っ最中でした。
話し合いと言ってもわたくしが一方的に話している感じですが。
まだ十歳の公爵様は必死に眠い目を擦っておられます。
その様子はとても可愛らしく、単純に庇護欲が湧いてしまいますが……彼も真剣なご様子。
わたくしもできるだけ真摯に説明はいたしました。
ただ、転生や現代日本うんぬんは言っても信じてもらえないでしょうから省いております。
というかわたくしにしても「証拠はあるのか」と言われれば「ございません」と言うしかないわけで。
「つまりお前は、誰も見たことがない空想の料理をこの世に生み出すために人生を捧げるというわけだな?」
「さようでございますね」
真面目な顔で頷けば、公爵様は「意味が分からん!」と憤慨いたしました。
「オレへのあてつけででたらめを言ってるんじゃないだろうな!?」
「まさか。もしそうであればもっと別の話を考えております」
「まあ、そうだろうな」
ご両親を早くに亡くされたせいで公爵位を継ぐことになってしまわれたわたくしの旦那様。
横暴なところはおありのようですが、聞く耳を持たない方ではないご様子。
「で、具体的にはなにをするんだ?」
結婚式の後の夜──となれば普通は初夜を迎えるものなのでしょうが、公爵様はまだ十歳。
ご本人にもその気はないご様子ですし、使用人の方々も「今すぐは無理だろう」とスタンスのようで、ここ、公爵様の寝室以外にわたくしの寝床も用意されております。
本日はこのままお話だけして解散ということになるでしょう。
「そうですね。まずは材料を確保します」
「普通だな」
「ええ。材料がなくては作れませんので。豚の品種改良とお米の捜索、お砂糖は手に入りますからお醤油とみりんの製法も確立しなければなりません。似たような作物や調味料が見つからなければ品種改良等々で作り出すところから──」
「全然普通ではないな!?」
「材料がなくては作れませんので」
公爵様が胡乱な目でわたくしを睨みます。
「この国始まって以来の優秀さで学園に入学した才女というのは噓だったのか?」
「いえ、そういった触れ込みで先生方にお褒めをいただいたのは紛れもない事実です」
自慢ではありませんがわたくし、優等生なのです。
学園は十二歳から十五歳までの三年間ですが、一年目の時点で卒業資格は取得済み。
言ってしまえば飛び級のような状態にあります。
「建国以来の才女がどうしてわけのわからない料理に人生を捧げるんだ!?」
「好きだから、としか申し上げられません」
「意味が分からん」
公爵様、さっきから「どうして」と「意味が分からん」しか仰いません。
自分でもわけのわからないことを言っている自覚はありますが。
こほん。
わたくしは咳ばらいをして、彼に尋ねました。
「予算を出していただけるのか、いただけないのか、どちらなのですか?」
「脅しか? それは脅しなのか?」
「めっそうもございません。わたくしに贅沢をさせて黙らせるつもりだったその予算を回していただければそれでけっこうです」
「それを脅しと言うんじゃないのか……?」
再びじろりと睨まれましたが、にこりと笑顔でかわします。
「初夜を前に『お前を愛する気はない』と言われた旨、実家に伝えさせていただいても構いませんでしょうか」
「なっ!? そ、それは卑怯だろう!?」
「娶ったばかりの妻に冷遇宣言する夫も相当に卑怯ではないかと愚考致しますが」
「べ、別にオレはお前に冷たくするつもりはない。……ただ、したくてした結婚ではないというだけだ」
「ええ、それも存じております」
わたくしもまだ十三歳。
本当ならば嫁に行くには早い年齢でございます。
それでもなお縁談が来たのは、十歳の公爵様とできるだけ歳が近く、かつ優秀な令嬢をとの希望があったからです。
要するに公爵様一人ではご不安だという周囲の意向でしょう。
「ですので、公爵様のご意思は尊重いたします。他に男を作るような真似はいたしませんし、過度に着飾ることにも興味はありません。ただ領内の畜産と農業に一枚嚙む権利をいただければ」
「……まあ、おかしなことをしないのなら構わないが」
だんだん理解が追いつかなくなってきたのか、公爵様はわかることだけを考慮するモードに入られたようです。
架空の料理を作るために品種改良を行うのは十分におかしなことなのですが、
「心得ております。公爵様の許可を仰ぎつつ、領地の利益になるようにすればよろしいのでしょう?」
わたくし、諦めるつもりは毛頭ないのです。