いったん、入学直後に話を戻すと。
入学式の翌日、登校した一和は校門の前で「やあ!」と声をかけられた。
この爽やかな声は、と振り返れば──すらりとした長身の美少年が笑いかけてきた。
「芳乃君、だったかな。昨日は大変だったね」
「おはよう。……もしかして、見られてた?」
「僕たちもあの教室にいたからね」
これは恥ずかしいところを見られた。忘れて欲しいと懇願すると、一ノ瀬白兎は楽しそうに「了解」と答える。
「でも、女の子に優しくするのはいいことだよ。それじゃあ、また」
ふわり、と小さな風を残して去っていく彼を見送って。
その後ろ姿を追いかけていく女子が何人もいるのも苦笑で流してから、未だ桜の舞う並木道を歩き出した。
この道を歩いていると穏やかな気持ちになる。
母もそうだったのか、夕食にでも聞いてみようかと思っていると──。
「あれ。えっと……月下さん?」
「……あ」
大きな一つ結びの三つ編みを前に垂らした、大人しそうな少女が道の途中で一人佇んでいた。
控えめなデザインの眼鏡が文学少女めいた印象をさらに強調している。
名前を呼ばれた彼女は少しびくっとしてから振り返って「こんにちは」と小さく告げた。
……昨日、帰ってから思い出した通り、少女マンガの主人公こと陽坂つぐみと一緒にいた子だ。
「その、昨日はごめん。迷惑かけちゃって」
「いえ、そんな。芳乃くん、は怒ってくれてたのわかっていますから」
その口もとに小さな笑みが浮かぶのを見て、ほっとする。
ついでに、やっぱりこんな可愛い子を最下位扱いするなんてどうかしてると思う。
この学校は生徒の顔面偏差値が高すぎるのだ。
いや、本当のことなら「一番可愛くない」とか言っていいわけではないが。
「ところで、なにか困りごと?」
「困りごと、と言いますか……その、あれです」
言われて目を向けると「その騒ぎ」に意識が向いた。
「なんだよ!」
「なによ!?」
「……なるほど」
見知らぬワイルド系の男子生徒と陽坂つぐみが言い合いをしている。
「いったいなにがあったの?」
「つぐみちゃんが彼に声をかけられたんです。それで、興味ないって答えたら『俺に興味のない女なんかいない』とエスカレートしてしまって……」
声って、つまりナンパか。
「陽坂さんって本当にマンガの主人公みたいだな」
「つぐみちゃんにとってはいつものことなんです……」
話しているうちに会話は決着したらしく、二人はぐぬぬ、とにらみ合って。
「とにかく、あなたみたいな人に興味ありませんから!」
「こっちだってお前みたいな女興味ないっての!」
ワイルド系(仮)の取り巻きらしき女生徒たちが歓声とブーイングを同時に上げる。
ふん、と、顔を背け合った両者はべつべつの方向に歩き出して、
「ごめんごめん、雛……って、あれ、芳乃くん? おはよ、昨日ぶりだね」
「うん。おはよう、陽坂さん。怪我とかなかった?」
陽坂と挨拶を交わしながら、一和は思った。
あの人、マンガなら絶対、お互い嫌って言いながら惹かれ合っていくタイプのイケメンだよな……と。
◇ ◇ ◇
「ないない! そりゃ彼氏はいつか欲しいけど、あんな嫌味な先輩だけは絶対無理!」
「あ、あの人先輩だったんだ……」
そういえばネクタイピンの色が違った気がするな、と頷く。
入学最初の授業をこなし、迎えた昼休み。
一和は不思議なことに陽坂、それから月下雛菊と机を囲んでいた。
朝に尋ねた「怪我はなかったか?」を陽坂が「さっきの喧嘩の感想をどうぞ」という意味に受け取り、HRまでの間じゃ話し足りないからと「続きは昼休みに」と言ってきたのだ。
まあ社交辞令かな、と思ったら昼休み開始早々に招集がかかってこの有様。
「ところで、芳乃くんもお弁当なんだね。美味しそう!」
「ありがとう。お母さんが作ってくれたんだ。陽坂さんたちは?」
「私は頑張って早起きして作ってるんだー」
「わたしは……朝が弱いので、母にお願いしてしまうことが多いです」
三者三葉の弁当箱が顔を合わせると見た目にも華やかだ。
「二人は中学校からの知り合い?」
「うん、一緒にここを受験したの。芳乃くんも外部生だよね?」
「そうだけど、どうしてわかったの?」
「? うーん、なんていうか……普通の人っぽいから?」
自覚はあるので構わないけれど、なんというか「オーラが足りない」という意味に聞こえた。
「陽坂さんたちはこの学校にすごく馴染んで見えるよ」
「えー、そんなことないよ。ねえ雛?」
「わたしも、つぐみちゃんにはぴったりの学校だと思う」
雛菊が一和に加勢すると、陽坂の楽しげな「裏切り者~」の声が教室に響いた。
こんな会話に交ざっていられるなんて、なんだかメインキャラになった気分だ。
「ね、芳乃くんはどこか部活入るの? 私はまだ悩んでて」
「入ろうとは思ってるけど、僕もまだ悩んでるかな」
「だよねー。いっぱい部活あるから迷っちゃう」
やりたいことがたくさんあるのは羨ましい。
ぽんぽん話題を放り込んでくる陽坂に必死で応える一和を、雛菊がときどき相槌を打ちながら、どこか不思議そうに眺めていた。
◇ ◇ ◇
そして放課後。
「よう芳乃、俺様の更新版『彼女にしたいランキング』を」
「ごめん興味ない」
一和は鞄に教科書類を詰めつつ「どうしたものか」と悩んでいた。
部活見学はもう始まっている。
入るなら早いほうが雰囲気に溶け込みやすいだろうし、実際、陽坂は今日からいくつも回るつもりらしいが。
「……部活一覧に『部員の男女比』も書いておいてくれれば」
悩んでいるのには、陽坂とは違う、男子特有の事情もあった。
生徒内の男子比率は年々ちょっとずつ増えているらしいものの、今のところはだいたい男女比1:2。
つまり、どの部に行ってもおそらく女子の先輩に囲まれることになる。
下手なところに顔を出して「うち男の子いらないんだけどな」みたいな顔をされたら一生トラウマになりかねない。
厳しい先輩がいそうなのは吹奏楽部とかだろうか。
運動部は男女別の練習だろうから多少マシか? ──と。
「あ、芳乃くん」
例によって女子から話しかけられていた一ノ瀬白兎が、脇を通り過ぎようとしたところで呼び留めてくる。
「部活はもう決めたかい? 僕は吹奏楽部とテニス部で迷っているんだ」
「うん。あんまり活動きつくないところを見学しようかと」
「そうか。じゃあ、お互い頑張ろう」
邪魔にならないうちにその場を離れつつ……テニス部もやめておこうと心に誓う一和だった。運動部だけど男女混合の可能性あるし。
一ノ瀬のようなタイプなら女子に囲まれてもぜんぜん平気なんだろうな。
「やっぱり、文化部のほうが溶け込みやすいかな」
結局、第一候補にしていた部へとゆっくり足を向けた。
今は部室棟のような目的で使用されている、木造の旧校舎二階。
静かな空気の中でひっそりと存在する『文芸部』の部室前に到着して。
「……あっ」
今、まさに部室のドアに手をかけようとしていた少女──月下雛菊と目が合った。