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古・古・古・古・・・


 古・古・古米というものが市場に出回り始め、どこぞやの議員が「餌米」だの「鶏しか食べない」だの無礼・無知なことを言っているが、それは政府備蓄米を過去最後にどうしていたか、ということであって、別にあれは「餌」目的の米ではない。
 緊急用の米は緊急時に「人間が食べるも為のもの」として備蓄しているのである。緊急時に人間が鶏に変わるわけではない。また緊急時に餌が米に変わるわけでもない。
 そもそも、古・古・古・古はそんなことも知らぬ愚かな議員やら、今まで何もしないで「米は日本で作る、輸入はしない」とか「させない」といっている議員・関係団体・省庁につける形容詞である。古・古・古・古「議員」、古・古・古・古「協同組合」、古・古・古・古「省」。古くさいのは米櫃以外のところにいる。
 新米と古米というのは炊き方や調理目的で変わるもので、「柔らかい新米」しか美味しくないというのは子供の味覚である。そのうえ、残念ながら新米・古米とか銘柄米とか袋に描いてあることをそのまま信じてグルメを気取っても何の意味もない。申し訳ないけど日本の米はそこまで信頼度は高くないし、卸業者はそれほど誠実でもない。くず米を「こしひかり」などと言って売っているのは今に始まったことではない。流通はプロのような事を言っているが中国産のアサリを熊本産と言って売っていたスーパーなど、特に信頼できるわけもなく、僕らはある程度自衛せざるを得ないのである。
 まず、どんな米でも(例え同じところで買った物で同じ袋でも)最初に炊いて、水加減を変えないと上手くは炊けないものである。産地米が信じられるのは産地米が直接産地で袋詰めされる場合だけで、業者の袋に変わった段階で信頼度はがくりとおちる。だからと言って「まずい」というわけではないが、単一米であるかはかなり疑わしい。産地まで含めれば、業者が卸している米が「そのまま」信じられることは殆どないのではないか、とさえ思う。
 逆に僕は「どうにもならない米」だけは買わないと、ずっと注意してきた。日本の米は原則的にはブランド米でなくてもそこそこ美味しいのである。あっさりめの米と甘めの米は存在するが、どちらも基本的には美味しい。それでも一度は「北陸の某県産コシヒカリ」というくず米に近いもの(くず米の特徴はとにかく割れ米の比率が以上に高いことで分る)を買ってしまったことがあり、そこの「業者とスーパーそのもの」を未来永劫、購入リストから外すというケースがあったくらいである。
 米を炊くときにどのくらい水に浸潤させ、どのくらいの水加減で炊くか、カレー用や炊き込みご飯に合う米と普通に食べる米をどう選ぶか、そんなこともしらずに、コ・コ・コ・コなどといっているニワトリ議員は与党であろうと、野党であろうと選挙で首を絞めて水炊きにでもしないといけない情勢になっているのだろう。
 因みに古い米やアメリカ産の米はいつも通り(強く擦らずに5回ほど)洗って、新米よりは10-20%ほど水を多めに(日本の炊飯器の通りにやると新米は大抵柔らかすぎるが、外国米や古米は炊飯器の指示、あるいは多少、少なめがちょうど良い)して、今の季節なら一時間ほど水に浸し、炊くといい。保温はしない方が良い(一般的にそうだけど、古い米や外国産の米は特に。アルファ化しやすいようだし匂いが出る)鮨はやわらか過ぎると駄目なので古米を混ぜるらしいが、流石に鮨を握る家庭はすくないだろうし、散らしの場合は握りほどの意味はない。
 一度炊いて、少しでも匂いが気になるようだったらアルコール(料理酒、あるいは味醂)を足すか、炊き込みご飯・カレーなどに使うと余り気にならない。
 だいたいコ・コ・コ・コなどと文句を言っている奴は料理なんかしたことのない奴であるし、多分ちゃんと炊いた米ならば区別も付かない舌の持ち主である。そうでなければ、食べ物をそんな粗雑に評することなど出来る筈がない。
 古・古・古米だってちゃんとすれば十分美味しく頂けるはずである。
 Bon appetite!

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