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コメンテーターとは何か 老人の戯言番外編

 先般、テレビ番組で、とあるコメンテーターが、台湾有事に関する発言に関して総理を批判する人たちのことを「日本人じゃないの」と言って炎上したらしい。文脈を整理すると(実は整理するほどのたいした話ではないが)
1)総理の発言でパンダが来なくなっちゃうのはけしからんと言っている人が居る
2)総理の発言が明らかに間違っているなら仕方ないがそうではない
3)総理は安倍政権の頃から同じことを言っていて立憲がそれを引出した
4)なぜそれを批判するのか、中国がそれを批判するのは分かる
5)しかし、それを日本人が批判するのはおかしい。批判する人は「日本人じゃないの」
 という論理らしい。
 一見すると理屈が通っていると思う人がいるらしいが、それが本当に困る。これは風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな理屈でしかない。
1)まあ、そういう人がいるのかもしれないが、困っているのはパンダの話ではない。そもそもパンダで国論は左右されないし、されるべきではない。困っているのはそこではない。非常に質の悪い問題のすり替えである。(正直言ってパンダが、中国の我が儘を通すためのツールとして使われるならパンダは放逐されるべきである)
2)「明らかな間違え」ではない。(と僕も思う)
3)飲み屋の親父、いやまあ政治家でも、思ったことをいうのは構わない。しかし、総理大臣が一国を代表して言う場合、かなり練りに練った上での発言をするのが一国の代表として当然の義務であり、またその失策を質問した側に着せるのは明らかな間違えである。
4)中国が批判するのは分かる、というのは実は本質を過たせる。中国がそれを言うのは分からないからこそ、この問題がある筈だ。国益を守るという文脈に限定して中国政府がその主張をしているのだろうという推測ならば分かる。
5)批判しているのはその「内容」ではなく、言い方、総理としての発言としての適正性など、である。またそれを以て日本人かどうかなどという踏み絵を踏ませる物では到底ない。
 そもそもこういう話をするに当たって雑に<「日本」「日本政府」「日本人」><「中国政府」「中国」「中国人」>を同じものとして一括りに纏めてしまうからこういう訳の分からない話になるのだ。全体主義的な国家である中国的な論理(中国にいる中国人は中国政府と同意見であるべきだ、みたいな)ならともかく、中国を批判する人ほど中華的・全体主義的視点でものを言うのは何故だろう?
 しかし、こういう生煮えの話を平気でするのは右翼とか左翼とかの問題ではなく、(実は左翼側にも同程度の人間が多数いる)本人達の問題ですらない。
 要はそんなレベルのコメンテーターを起用する方にある。つまり落語家の問題ではなく、そんな落語家をコメンテーターとして起用する方の問題である。元政治家、元官僚、弁護士、中途半端な芸能人を含め、その程度の与太話を聞かされる身にもなって欲しい。いや、そんな生煮えの議論で簡単に形成されてしまう世の中であるからこそ、生煮えのコメンテーターは放逐されるべきなのだ。きちんと本来の生業である落語をやっていなさいと諭すべきである。
 もっとも現役政治家や現役大臣にも同じ程度の与太話をする人が居るわけであるが、これは本人の責任であり、選挙などのプロセスを経てきちんと我々が対峙すべきものである。
 しかしコメンテーターというのは正直言って無責任な野次馬レベルの人が多く、知見を持って話している人は滅多にいないのが実情であり、そもそも何の責任も持ていない。そうしたレベルの人間をあたかも「国民の声」のように垂れ流すのはあくまでメディアの責任である。正直言ってどの局にも関わらず、民放の「なんちゃってニュース的な」ワイドショー自体が不要で、むしろ害悪にしか見えないのは最近始まった話ではないはずである。
 せめて政治の話については、最低限でもきちんとその世界で研究をしている人間の話か、或いは正確な世論調査などに限定して欲しい。与太話は本当にリソースと時間の無駄であり、ナイーブな人間にとって害悪である。
 台湾有事に関する試験については既に本編に書いたとおり、僕は中国の立場を支持してはいない。残念ながら国際社会は中国がqualifyされるかもしれないという期待を持っていたが、「現実にはそうではないと考えている」と思っている。だからこそ、迂闊なことを言ってはいけない、というのが世界の政治の常識なのである。

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