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気になる話 リベラルとは何か?

 今日、テレビ朝日の朝の番組を見ていてとても気になることがあった。世論アンケートで、回答者に自分は「リベラルか保守か」と質問した上で、そのグレードからどの政党を応援しているか、という傾向を見るというものである。まあ、それで「保守」が「自民党」から「国民民主党」「参政党」に支持を移し、自民党の岩盤が支持を移行しているということを言っているのだが、そもそも岩盤というのは移行しないから岩盤なのである。岩盤が動いたから大震災とでもいいたいのだろうか?日本でもアメリカでもやたら岩盤が動くらしいが、恐らくその見立てが間違っているのだ。岩盤は動かない。動くのは状況である。
 まあ、そういう言葉遊びはともかくとして、たいへん気になったのは「リベラルか保守か」という言い方である。もちろん保守の対義語はリベラルではない。革新である。リベラルの対義語は敢ていうなら「拘束的」で拘束というのは必ずしも悪い意味ではなく、何らかの価値観を共有してそれで社会を「拘束」しようという考え方である。ただ、この「価値観」というものがくせ者で、たいていの場合共有しかねる「価値観」を押しつけることが多く、政治的にはパターナリズムであることが多い。
 言いたいのはリベラルか保守かという質問は間違っているということである。穏健保守がリベラルであることは大いにあり得ることで、そもそも「自由民主党」というのはLiberal Democratic Partyなのだからリベラルなのが当然である。
 そういえば、某政治団体が「自民党がリベラルに寄りすぎている」と最近言ったというのがニュースになっていたが、どうも話の辻褄がおかしい。ならば、最初に言うべき事は「自民党」はリベラルという看板を下ろすべきだ、という主張であるはずだ。世の中には様々な考え方があるから政治的主張は構わないが、「虚偽」の看板を平気でつけたまま「自由」はだめですよ、というのは詐欺的であるという主張が正しい。そうすれば「岩盤」は「保守」なり「父権主義政党」なりで岩盤のまま存在することができるだろう。
 政治団体はともかくテレビ朝日のような公共物がこうした間違った認識を視聴者に流すのはほんとうにどうなのかしら。

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