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「カラマーゾフの兄弟」

  My Bests(僕の好きな長編小説)の「カラマーゾフの兄弟」の項を漸く完了する見通しがつき、取りあえずpart1を上梓した。
 書き始めたのはいったい、いつくらいだろうか、おそらくは3ヶ月程前、当初は3万字程度で納める積もりで書き始めたのだが、結局、最終的にはその3倍ほどの長さになりそうである。
 この小説はいろいろな意味で複雑怪奇で(その詳細は本文に譲るとして)書いている途中に、別の箇所との連関が気になり始め、読み直しを重ねるという作業が重なったからである。
 結果的に膨れに膨れ上がり、それを書いている最中は他の小説やエッセイも手薄になったうえに、長編小説の在庫はどんどん溜っていくというわけで、大変な目に遭ってしまった。うかつにドストエフスキーには触るものではない。
 「カラマーゾフの兄弟」のあとには「源氏物語」「日本書紀」「魔の山」「ジャン・クリストフ」が滞留し、そこに今” cien años de soledad”(「百年の孤独」:原文)が現在進行中で加わっており、早く書き終えて行かないと、それらがどんどんと忘却の過程に入ってしまうのである。それにも関わらず、part-2/3を書きながら未だに右往左往しているのはやはりこの小説を書いた作者の力なのであろう。

 それにしても、この小説の複雑さと奇怪さはなかなかのもので、かつ本来なら「続編」があった筈の前半部分、ドストエフスキー自身が「これはほとんど小説でさえなく」、第二の小説の多くのことが理解できなくなることを避けるために「端折ってしまうわけにはいかない」という、あたかも和食の突き出しのようなものだと言われると、ではドストエフスキーにとって本当の「小説」はどんなものであったのか、と首を傾げざるをえない。彼の頭の中に存在したその「第二部」は、もし彼の「脳」が残っていて、未来の技術でその発する「電気信号」を解読することができたときのみ、明らかになるのだろうが、未来の技術はともかく彼の脳はもう残っていない。
 AIの技術などを使ってそんなものを再現して欲しくはないから、このまま「秘すれば花」ということか。いや、そもそも、ドストエフスキー自身がその話をしているのだから「秘して」はいないのだが。
 いずれにしろ、この小説はそんじょそこらの話とは違い、読むに当たって「覚悟がいる」小説であり、僕の一文がその覚悟の一助になれば幸いだと思っている。

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