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日光参拝


 毎年、2月旧暦の暦が変わる頃に日光に輪王寺にお参りに行くのが習わしである。日光は江戸の鬼門にあると言われ、そこに鬼門よけのお札を貰いに行くのだ。
 別に行かずとも、葉書で申し込めるのだが、葉書で申し込んだ年に癌で入院したので、否応もなく、毎年東武線に乗ってお参りにいくことになっている。メッカを訪れるイスラム教徒を笑い飛ばすことはできない身である。
 行きは特急に乗って指定席で軽食を取りつつ向かうことにしているが、帰りは時間次第で特急に乗ることもあれば、普通電車で帰ることもある。
 今回は今週の月曜日の9時発、特急スペーシア3号、東武日光駅行きに乗った。いつもはもう少し遅い電車に乗るために正確な比較はできないのだが、電車は例年になく混んでいた。いつもなら、二席並びを一人で自由に使えるし、乗車率も半分以下なのに今年は、隣に人がいただけではなく、いつの間にか見回せばほぼ全座席が埋まっていた。世に言うインバウンド需要のせいであろうか?
 確かに外人の比率は高く僕の前の座席、その前の座席は西洋人の乗客で締められていた。韓国や中国からの来日客は、最近は日本人と見分けが付きにくくなっているので、言葉を聞かねば判断ができないのだが、その言葉で判断する限り明らかに日本人ではない客も多く居た。もっとも日光に関して言えば昔から外人の観光客の比率は多かった。比率と言うより絶対数が増えている。
 東武日光駅に到着した後も、やはり人の多さを感じた。僕はコロナ禍が発生するずっと前から通っていたのだが、コロナ禍の最中(この頃は通りに全くと言って良いほど人が居なかった)どころか、コロナ禍以前に比べても二荒山神社(ここがほぼ男体山を初めとする日光の持ち主である)を初めとする日光世界遺産への道筋を歩いている人は多い。コロナ前後にこの道筋はだいぶ工事をして整備をしていたのが報われた形になっている。
 僕は日光の社寺へは必ず徒歩で行くことにしている。整備の甲斐もあってか、店もずいぶんと新しい物が増えていた。行きの電車内では日光市が「チョコっと日光」などと、チョコをメインにした観光開発(なんだか、どこかで聞いたことのあるような平凡なネーミングであるが)を始めたようなことをアナウンスしていたが、チョコを前面に押し出した店は見かけなかったけど・・・どうなっているのだろう?パンとチーズケーキと鯛焼き、それにクレープの屋台や小さなお店。
 ん、原宿かここは?
 昔あった、岩魚の塩焼きはどこへいったのだ?と、文句を言っても仕方あるまい。僕だって岩魚を一度も買ったことはなかった。買ったことのない人間に、こうした変化に対する文句を言う資格はない。
 今回は輪王寺と二荒山神社だけ。その日の日光は例年になく温かく、地面のところどころに雪は残ってはいたものの、例年なら二荒山神社の本殿の屋根に積もっている雪もなかった。
 僕は滅多に東照宮には行かない。観光客が多すぎるのだ。どちらかというと大猷院の方に落ち着きと威容を見るのだけど、今回は大猷院も遠慮した。その代り、世界遺産の領域を出て、辺りを散策した。
 案内を見ると憾満ヶ淵という場所がある。訪れたことがないので、少し足を伸してみた。大谷川沿いを少し上流に登り、橋を渡ると案内板があって、熊やヤマビルが出るとの注意書きがある。さすがにヤマビルはお休み中だが、最近の熊は冬でもお休みにならないので、ちょっと「びびり」ながら道を進んでいくと「突然のアイスバーン状態」に出くわした。登山用の靴を履いていったから僕自身は問題なかったけど、何人かの観光客の中には革靴を履いた人も居た。かわいそうに。観光名所に指定しているなら、多少金を掛けても入りやすいようにしておいた方が、結局得だと思う。
 というのも、ここの「数える度に数が合わない化け地蔵」(たくさんのお地蔵さんが並んでいて、赤い頭巾とちゃんちゃんこを着ている)は面白い風景だし、神橋のあたりだと、だいぶ下を流れている大谷川も眼前に見え、幾つかある小さな滝もあわせなかなかの風情で、完成度の高い社寺を見飽きた目には新鮮に映る。
 神社内にしてもここらにしても、日光というのは本当に水が豊富な地域である。山間ではどこに居ても水の流れる音がしている。これほど広範囲に「水」を感じさせる風景は三島と双璧ではないか。
 帰りがけに湯波を一つ。鍋用に買った。日光では湯葉ではなく湯波と書くそうだ。葉のように薄くなく、分厚い食べ応えを表すために波という字を使うらしい。

 今回、帰りは普通電車。普通電車だと下今市まで一旦、下りそこから南栗橋行きの電車に乗る、というのが定石で、これらの電車にはドアの開閉ボタンがある。開閉ボタンのある電車というのは駅に長く停車する単線のローカルに多いような気がする。確か首都圏だと八高線などがこういう形式だった記憶があるが、もう変わっただろうか?
 下今市からも座ることができて一安心した。南栗橋まで一時間半近くかかるので、立っているのはさすがにきつい。つれづれなるままに社内のモニターを眺めていたら「家中」(いえなか)「合戦場」という駅名が続いて出てきた。なかなか含蓄のある並びである。

 日光というのは日帰り旅行も宿泊もできてなかなか便利な旅行先でもある。女性客同士、カップルが多いのも特徴的で、羨ましい限り。素敵な女性と回ればもう少し楽しみも増えるであろうに。ただ、今年は早いスギ花粉にやられてしまった。そういえば日光は日本で最初に花粉症が発生した場所でもある。花粉のメッカ、か。
今、これを書いている最中にもさんざん、鼻水が出て、頭が重い。この間、米のことで農林水産省の悪口を書いたが、スギ花粉を放置しているのは農林水産省のせいであると、僕はこの二十年来、頑なに思っている。
 いや、もう本当に役立たず、だなぁ。一度、アメリカみたいに全員クビにして建て直さないと駄目な省庁っていうのも「あり」だとしたら、筆頭省庁である。まあ、筆頭なだけで、文部科学・国土交通・経済産業・厚生労働など、副筆頭格もたくさんあるのだけど。主に四文字省庁はだいたい駄目という相場がある。
 近頃、財務省への風当たりが強いが、ああいう批判は素人か悪意のある人間の批判で、ポンコツ省庁だらけの日本では、財務省が厳しい査定をしないと財政がなりたたないのは仕方ないのだ。まあ、赤城問題など、財務省にも問題ある人間は沢山居るし、本来役人を糺さなければいけない自民党の税調などが輪を掛けて役立たずなので、財務省の評判が悪いが、あれは税調が悪いのである。また悪口のおおもとに財政を全く知らない素人につけこむ御用学者がいてほらを吹く。国が国民に幾らでも借金して構わないなんていう壮大な愚行をやらせてしまったら、元に戻らない、調所広郷はもういないのである。
 今は年収の壁とか、高額医療費控除の問題などが喧伝されているが、どちらも本来、「税収とか歳出に拘わらず「経済の実態に応じて見直すべき物を見直さなかった結果」が問題を大きくしているのであって、ちゃんと定期的にそれぞれ見直しておくべき問題であった。
 そういう所を政治がきちんと手を打たないから大きくなりすぎて「手が打てなくなる」のである。
 随分話が、飛んだが、今回は日光に来て徳川家康や家光というのはなかなかの政治家だったのだなあと感心し、それに比べて今の政治は駄目だな、と思いました。ふふ。

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