ヘミングウェイの小説に”Farewell to Arms”(「武器よさらば」)という小説がある。この小説は作家が参加したスペイン内戦の経験をもとに書かれたなどという解説を見るが、実際はスペイン内戦が始まる前にこの小説は書かれており、舞台は第一次世界大戦のイタリアであるから、ヘミングウェイは武器に「さらば」はせず内戦に参加したのであろう。
武器に「さらば」したまま戦争に参加するのはたいへん危険である。まあ、赤十字とかなら別であるが、ヘミングウェイの体格、髭面をみて赤十字と勘違いする兵士はいない。戦場に出たら撃ち殺されるのは必定である。「さらば」というタイトルには、そうした「さらば」すべきだという倫理的な気持ちと「さらば」したら命に関わる、という現実に、混迷した感情が交じっているのである。
というわけで「米」よさらば。である。つまり、一応捨てはしないが、かなり距離をおく「さらば」である。
米・・・これを「コメ」と読むか「ベイ」と読むかで話は変わるが今回に関しては両方である。全く離れるという訳ではないが、今までの半分ほどの付き合いと関心、ということになるだろう。
コメ・・・。突然昨年の収穫時期寸前にコメが値上がりしたのはどう考えても談合である。それもノーリン省が絡んでの談合だというのは、古米の放出を拒んだ時点でかなり正鵠を射ていると思われる。こんなに分かりやすいことをやっていると真ん中に「タ」を足したくなる。タヌキのノーリン省は恐らく、こう考えたのだ。
賃金水準の上昇は経済界によって進んでいく。最低賃金も上がった。しかしその制度は農家には適用されない。ただでさえ、若年人口が減っている日本に置いて第一次産業の農業人口はより減っている。だとすると、相対的に収入の減る農家をなんとかしなければならない。
それ自体は「枠組みが正しい限りにおいて」理解できうるシナリオである。しかし、その枠組みは果たして強固な物なのか?経済界、マスコミを巻き込んで(このシナリオに少なくとも一部のマスコミが同調しているのは、ワイドショー的な番組を見ると容易に察知できる。彼らは米だろうが卵だろうが、きゃべつだろうがなんでも「値上げ」の種を見つけては騒ぐというビジネスをどこからか見つけてきたらしい)が、官製コストアップ型インフレという新たな挑戦をしても恐らく日本の経済は回復しないだろう。正直言って今の消費者は賃金上昇、カルテル紛いのコストアップにも関わらず低下するサービスにうんざりし始めている、筈である。だいたい政官あげて「賃金上げます」同調圧力をかけるこの「空気」感はいったい、何?
こんなので経済が回復すると本気でお考えですか、と聞きたくなる。そういった間違った「枠組み」の中で「コメ」は上がった。おそらく二倍程度に。ということで我が家のコメの消費量は半分以下に減った。倍の値段を出して買ってくれるところがあるなら、私なんぞ遠慮させて貰います。現代版札差に対して米騒動も起こす気になれない。正直、コメがなくても困らずに生活していけるのである。いや、別に選択的にコメを忌避するつもりはない。しかし、官製カルテルに乗っかる積もりはない。そんなやり方が罷り通ればろくな事にはならない、と思うだけである。
僕はコメが多少高くなっても仕方ないとは思っているが、今の日本の「コメ」の作り方がベストなどとはこれっぽっちも思っていないし、日本のコメの価格を上げるだけならともかく、カリフォルニア米やらオーストラリア米、台湾米まで須く二倍にするような卑怯な手は宜しくないと思っているだけである。
非常に大まかに言うと、去年の秋頃から5キロ2000円程度で買えたコメは3500円から4000円程度に値上がりした。(実態的にはこれの8割程度が最安価格である)。外米はカリフォルニア米が5キロ1600円程度で、これは日本米が上がり始めた当初は同じ価格で売られていたが今は3000円弱である。為替変動ではとても説明できない価格の変更は、日本米と同調しないと需要が外米に流れてしまうからであろう。
それによって恐らく農家の収入は短期的に増加するであろう。需要が減らなければ。需要が減らないと主張するのは構わない。ただ、撤退する人たちは必ず出てくる。価格が倍になって買い続ける人たち「だけ」ではない。
もう一つ言えば、日本のコメの生産性の悪さを放置したまま価格を上げるという農政の「55年体制的な」ものに対する拒否感が僕には根強くあるのである。それを放置したままつけを消費者に回すタヌキが許せない。なんだか、ブランド米化にカネを注ぎ込み(正直言ってどのブランドでも今は十分美味しいので新品種の開発など不要である)それが行き着くところまでいっての価格の値上げだろうが、生産性の低さに手を付けないまま放置するのはいい加減にしてほしい。申し訳ないが日本の米が高いのは他の産地に比べて歴然としているのである。(だってアメリカの米などは枠外341円/キロの関税ですぜ)
正直言って、値上げを拒否するわけではないがこういう手法は筋が悪すぎる。筋が悪い物はそのまま認めるとろくな事にならないという蟷螂の斧の気持ちである。
仕方なしに、蟷螂はさまざまな形に主食を広げている。小麦、蕎麦、オーツ、芋。お陰で体調は少し良くなった。色々な種類の食物を食べるのはやはり良いことのようだ。
そして米、「べい」すなわちアメリカである。石破総理がトランプ大統領との会談を終え、少なくとも、カナダやメキシコの二の舞を踏まずに済んだことを慶賀しているらしい。一方で旧・安倍派の方々は「トランプとうまくやっていけたのは安倍元総理だけだ」という主張が壊れたのが不満らしく、何かとくだらない因縁をつけては子供っぽい事を言って、総理を貶めようとしている。まあ、どちらも「その程度のレベル」か、と嘆いているのは僕だけなのだろうか?筋の悪い者はあくまで筋が悪い。それがトランプ政権である。その行動が時に良い結果を齎したとしても、それを評価する事はない。短期的な成果が長期的な成果に繋がらないことは様々な政権で立証済みである。その一挙一動に揺れる意味がない。駄目なものはどこまでいっても駄目なのだ。依って立つ思想が駄目な人物の一挙一動に興奮するのは面白い動きをするものにかまける犬猫の行動に等しい。
というわけで米よ、さらば。あと暫くはさらば、である。
といいつつ、今年一回だけ買った米はカリフォルニア米5キロ2680円であった。さらば、した米と米がまだだいぶ冷蔵庫に残っている。