消えた購買のパン(解決編)

  6


「わかった……」

 僕は思わず立ち上がった。ガタリと椅子が鳴る。

 パンの味。おいしくない、独特と言うより変な匂い、パサつく——あれは、時間が経ったパンの味だ!

 売りたてのパンが、なぜ古いのか。

 構図が逆。つむぎの言葉が、今度ははっきり意味を持って転がってきた。

 そのとき、つむぎが椅子の背もたれに身体を預けたまま、急にしゃべりだす。

「……もう。啓くんったら、そんなことしないで」

 は?

「寝言かよ!」

 五月女先輩が僕をゴミを見るような目で見ている。誤解です。僕はこいつに何もしてません。

「副会長、こいつの言う『構図が逆』。話はそれで終わりです。生徒は悪いことは何もしていない。でも残念ながら、購買は続けられないでしょう。おそらくは」

「どういうこと……?」

 先輩が眉を顰める。

「構図が逆、つまり、被害者と加害者が逆だったんです」

 僕は先輩の表情を見た。しかし期待したような変化は伺えない。それどころかますます、僕とつむぎを交互に、胡散臭げに見るだけだ。

「……すいません。順を追って説明します。副会長は購買のパンを食べたことは?」

「あるわよ、それは。わたしがあのパン屋さんにお願いしたんだから」

「味は?」

「はあ?」

「おいしいから選んだんですか」

 先輩は首を振る。

「いいえ、なるべく高校生のお財布に優しいお店を選んだわ。正直言って味は二の次。でもかなり安くしてくださったのよ」

「僕らの間でもそういう評判でした。まあでも、高校生なんていつでも腹を減らしてますから、特に問題はないですけど。でもそれでも、このパンまずいなと思うことはありました。それも、日によって、食べる人によって違うんです」

 先輩は僕の話を黙って聞いている。

「妙にパサついていたり、全粒粉パンみたいな酸味を感じたり、匂いがおかしかったり。僕らは出来不出来がひどいパン屋だとネタにしてました。でも違う。コムギ屋は、昨日の売れ残りを混ぜて、僕らに売ってたんです」

 先輩が眉を上げた。

「何ですって?」

「もちろん、まだ証拠はありません。でもそう考えるとしっくりくるんです。あのヘンテコなパンの味が。そして、今回の構図も自然に理解できる。この事件は、コムギ屋による食品偽装の隠蔽だったんです」

「その通り。満点よ、啓ちゃん」

「うわっ」

 耳のすぐ下で囁く声がして、僕は思わず振り向く。いつの間にか起きたつむぎが、僕の背後で思い切り背伸びをして、耳の後ろに口を近づけていた。それでも届いてないぞ、お前。

「パン屋さんは昨日のお店の売れ残りを、今朝焼いたパンと一緒に納品してたのよ。パン屋さんにとって売れ残りは何よりも無くしたいもの。損益を直接左右するから。ところが高校生は、毎日売り切れまで買ってくれる。こんなありがたい売り場はなかったでしょうね」

 つむぎの言葉に、先輩は唇を結んで表情を固くした。。その言葉の意味が全然変わってしまう。

「翌日くらいなら平気だ、と踏んでたんでしょうね。でも惣菜パンは傷みやすい。たぶんこれまでもギリギリだったのではないかしら。中には味の変化を面と向かって指摘する者もいたでしょう。おそらく昨日も」

 僕は思わず手を打った。

「藤原か! だからあいつクーポン券を」

 僕は藤原がパン屋からクーポン券をもらったという話を二人に話した。

「ますます決定的ね。藤原くんにもう一度話を聞くといいわ。きっと、味の違いを指摘したらお詫びにくれた、と白状するでしょう。パン屋さんも、そろそろ古いパンを混ぜるのも限界だと焦ったに違いない。藤原くんに口止めをし、古いパンは証拠隠滅のために全部持って帰ることにした」

 つむぎはそう言うと目を閉じ、指を一本天に向かって立てた。その指をゆらゆら揺らしながら、おもむろに室内を歩き始める。様になってるのに、中学生がカッコつけてるようにも見えてギャップがすごい。

「だからパン屋さんは、パンを盗まれた被害者でも何でもなく、食品偽装の加害者である可能性が極めて高い」

 ——保健所案件。

「するともう、動機と機会が揃っていたことも明白でしょう」

 つむぎは目を開けて、五月女先輩ににっこりと微笑んだ。

「パン屋さんが納品のときに、こっそり古いパンの入った番重と空の番重を入れ替えて、持ち帰っていたのよ。だから、下段の番重は、はじめから空っぽだった」


  7


「二人とも最初から真相に辿り着いていたじゃない。パンは初めからなかったのではないかって。ただ、パン屋さんが被害者だという構図に囚われすぎたわね」

 つむぎは目をすうっと細め、揶揄うような口調で言う。

「いつどこで、番重を入れ替えたって言うの」

 五月女先輩が掠れた声で聞く。

「啓ちゃんの報告通りなら、手順はおそらくこうね。パンを数える時に、移し替えたのはパン屋さんだった。なら、古いパンと新しいパンを選り分けることも簡単。おそらく一方の番重にだけ、古いパンを入れたのよ。ちょうど一箱分。そちらだけを持ち帰り、新しいパンを佐竹さんに売ってもらう」

 なるほど。機会はあった。

「次にその番重の持って帰り方だけど、佐竹さんが見ているときにやれば、さすがに指摘される。『ちょっと、売り物持って帰ってどうするんだい』ってね。でも、あのとき佐竹さんは第三者に気を取られていた」

 藤原か。あいつ、大活躍だな。

「藤原くんも必死で佐竹さんにお願いしていたから、パン屋さんのことなんか見ていない。パン屋さんはその隙に、台車に空の番重を積むふりをして、古いパンの入った番重を積み、その上に空の番重を乗せた」

 つむぎは、エア番重をエア台車の上に乗せる。

「さらにテーブルの上の番重は、空のものの上にパンで一杯の番重を重ねた。動作は特に変わらないし、結果の見た目も同じよ」

 そうすれば、一見すると何も問題がないように見えるな、確かに。

「……そんなの偶然じゃない。それとも藤原くんは、コムギ屋さんに協力していたとでも言うの」

「そうね。藤原くんの果たした役割は、確かに偶然。だけど大事なことを忘れているわ。パン屋さんは別にこのタイミングでなくても良かったのよ。だって20分休みが終われば、いくらでもすり替える機会はあったんだから」

 佐竹さんが帰ってしまえば、誰も購買には近づかない。その時間帯であれば下段の番重を持っていくことができた。ただそれは面倒でもある。だから佐竹さんが藤原に気を取られているのを幸い、さっさと番重を入れ替えたってことか。

「たぶんね。仮にそれが事実でなくても、パン屋さんには古いパンを持って帰る動機があったし、機会も山ほどあった」

 五月女先輩の肩から力が抜けた。つむぎのロジックの正しさを認め、生徒が窃盗したわけではないと信じることができたからだろう。でも、その顔色は相変わらず冴えない。

「コムギ屋さんは、どうするつもりだったのかしら。だっていずれは空だってわかってしまうじゃない。現に騒ぎになっているし」

 つむぎは肩をすくめた。

「さあ? おそらく4限のどこかで、新品のパンが入った二段目を持ってきて取り替えるつもりだったのではないかしら。昼休み直前なら、売り場の準備って顔で近づけるしね。でも何らかの理由で間に合わなかったんでしょう」

 五月女先輩は俯いた。もう、聞きたいことはないようだ。

「わたしは9割方、この筋書きの通りだと思っているけど、慎重に裏を取ってね。何しろ物証に乏しいから」

 つむぎはそう言うと、また生あくびをした。目に霞がかかり始め、さっきまでのキレキレの雰囲気が途端にどこかに行ってしまう。じゃあ、わたしはこれでえ、とふにゃふにゃとした挨拶を残し、部屋を後にしようとする。

「待って」

 五月女先輩が、つむぎを呼び止める。下を向いたまま、両拳をぎりぎりと固めていたが、ゆっくりと顔を上げた。

「島野つむぎ。どうも、ありがとう」


  8


 その後、先輩と僕は佐竹さんに話をした。佐竹さんはしばらく黙っていたが、やがて「やっぱりね」と小さく言った。心あたりがあったらしい。

 その場で佐竹さんはコムギ屋に電話を入れた。僕らがまとめたメモ――藤原の証言と、クーポン券の件――を順番に突きつけると、店主は数分の沈黙のあと、観念したように白状したらしい。

 その日の夕方、店主は学校に謝罪に来た。生徒会からも経緯を報告し、学校は取引を打ち切る方針を決めた。正式な手続きは翌日以降になったが、結論は変わらなかった。

 全校生徒が勝ち取ったパンの購買は、たった三ヶ月で終わりを迎えた。


 翌週の放課後、僕はつむぎに一緒に帰ろうと声をかけた。一年三組の連中は、もう僕らを公認カップルみたいに扱っている。……勘弁してくれ。

 電車とバスでは、つむぎは爆睡していて話にならなかった。バスを降りて、それぞれの家に向かう道すがら、僕はようやく聞いた。

「なあ。もし、つむぎが謎を解かなかったら、どうなってたんだろうな」

 つむぎはあまり興味のなさそうな顔で言う。

「知らない。でも、あのままだと『盗みの可能性』が残って騒ぎになり、学校は面倒になって購買をやめたかもね。……啓ちゃんたちは、ギリギリ間に合ったのよ」

 五月女先輩の顔が浮かんだ。

 彼女は自分が探してきたパン屋が、学生を応援しようという心意気のあるパン屋ではなく、売れ残りを処分するのに都合のいい売り場と考えていた小悪党だと知って、しばらく落ち込んでいた。

 でも彼女に主たる責任はない。学校もそれはわかっている。次は教員と一緒に、別のパン屋を探すことになったらしい。先輩は佐竹さんのツテも借りながら、また走り回っている。

「購買は再開するんだ。それなら、わたしが役に立ったってことね」

 つむぎは、あくびを噛み殺しながら言った。

「……なら、お礼をしてもらってもいいわよね」

「まあ、僕らにできる範囲のもので頼むよ」

 僕は苦笑して、つむぎの返事を待つ。一分、二分……。返事がない。


 嫌な予感がして、横を見る。

 おいおいまさか。だって歩いてるんだぞ。

 ……寝ている。

 目を閉じ、口を半開きにしながら、歩いている。

「おい、つむぎ! 歩きながら寝るな!」

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探偵つむぎはだいたい寝ている アオノソラ @shigezou11

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