誰かの願い
- ★★★ Excellent!!!
主人公は始末のよい人である。
母親の通院も、家庭内に隠されていた秘密も、一大事とばかりに大声で触れ回る軽挙な人もいるところを、じっくりと胸に納めて寡黙である。
選ぶことは、その反対側に、選ばれないものを生み出してしまう。
当たり前のことであるが、それにて明暗が分かれる時に、そこに想いを馳せるあまり、昨日までの自分にはもう戻れないこともある。
だから何だというのだろう。
選択されなかった側のことを過剰に憐れみ、不幸なものとして扱う傲慢さこそ、わたしは厭う。
輝かしき「選ばれし者」とても、他の面では選ばれないのだ。
選ばれなかったからといって、極端な状況下にいるのでもない限り、一度生まれ落ちた私たちの人生は残念ながらなかなか終わらない。
ここにて保健の授業を展開する気はもちろんないが、元々からして、誰もが奇跡の確率をくぐってこの世に生まれている。ふるい落とされたものたちへ、日常生活に支障があるほどの罪悪感を抱くことこそ現実的ではないし嘘っぽい。
しかし、母親は違う。
超音波エコーでそれの存在を観ていただろうから。
あのぴこぴことした心臓の動き。
その過去はあくまでも母が、その母性によって背負うものだ。
であるからこそ、主人公はこの出来事に何かの題名を付けて整理することを拒み通す。
ちょうど墓地の、もう誰も訪れることのない奥まった日蔭に苔むした幼い子どもの小さな墓があったとしても、それを見て落涙していいのは喪った人だけであり、そこに手前勝手な感傷をもって踏み込むことは安手の感動ポルノのように無礼なことだ。
そのくらいの分別は主人公にもある。
ただ彼女が考えるのは、一枚の半紙を挟むかのようであった母親との関係性と、間に暗い秘密があるような、家庭内に流れていた薄っすらとした違和感の正体のことだ。
それが母親との関係を今のようにしたのか、それとも違うのかも、もはや誰にも分からない。
どちらが良かったのかも。
暗闇で目を閉じる。
薄黄色の浮遊物が瞼に浮かぶ。
あれだろうか。それとも違うのか。
分からぬままでいるほうが、きっと誰にとってもいちばんよいのだ。名をつけてしまえば、その解は解としての実態を持ってしまい、根をはって、今度こそ容易には動かせなくなってしまう。
或る説によると小説とはディティールの積み重ねによってかたち創られるという。
少しでも書くことに真剣に悩んだことがある者ならば、「巧いなぁ」と柴田氏の描写に舌を巻くことだろう。