地獄の日々

 本編の「母」とそっくりな人からストーカーされているのだが、基本、こちらが何か出来ることはない。
 自分の心を護るためには、ただひたすらこの手の人から距離を取るしかない。
 あちらはこちらをサンドバッグとして扱うことしか、「出来ない」からだ。

 デリカシーがなく無神経な上に「してやった」という恩着せのトリプル攻撃で、どれほどこちらを疲弊させようが、相手にそのしんどさを分かってもらうことは「出来ない」

「文句があるならハッキリ言え! お前には口がないのか。コミュ障か」

 とまで罵られて、思うところを述べたとしても、絶対に理解はしない。せいぜいが、

「お前は神経質だ」
「わたしならそんなことで不平不満を抱くことはない」
「本音を云ったら攻撃されたと騒ぐなんて、愚かしい反抗期かな?www」

 とこちら側の心を何がなんでも封殺し、自分を正当化し、さらなる攻撃材料にして勝ち誇ってくるだけである。

 あの凄まじい口撃と人格否定を受け続ける他人の負担を、彼らが理解することは未来永劫ない。
 一度ターゲットにされた人は、永遠に彼らの引き立て役として無能なゴミ扱いになり、その役割以上の評価をターゲットにつけることは彼らの脳がバグをひき起こす。

 毎日毎日デリカシーのない、無神経な、攻撃的で嘲笑的な罵声、人が思い通りに動かないという愚痴を言いたい放題にターゲットに向けて浴びせていても、彼らがそれを自覚することは絶対に「ない」
 そんな彼らが外に向かって言い触らすことは、自分の汚点のなすりつけという形であらわれ、

「やることもやらない愚痴ばかりの無能で反抗期のバカ女に気づきを与えられる有能なこのわたし」

 ということになる。

 黒い水がぽたぽたと落ちてくるような相手の苦しみは、あちらには一切見えない。たとえ反発したとしても、
「わたしこそ被害者だ!」
 と凄まじい勢いで四方八方に言い触らされるからだ。

 医者が云う通り、心の平穏のためには、とにかく逃げるしかない。
 でも、執念深く追いかけてくる。

 自分の心を護ることは自分の人生を護ることだ。ところが、あちらが絶対に阻止したいのは、まさにそれなのだ。
「お前みたいな無能なバカ女をしつけなおす」とわたしは言われた。