夏の墓

 文学少女ときいて、まず想い浮ぶ人、それが葵春香さんだ。
 もちろん他の女性陣も膨大な読書量を積み上げていることだろうが、「文学少女」という言葉から想起される、目立たない場所で物静かに本を読んでいて、迂闊に声をかけられない没入の空気をまとった少女のイメージ、あれに最も近い。
 まだ幼さの残る年齢の葵さんが小説の世界に踏み込むことになったきっかけは源氏物語。

「久しく逢わぬあいだに、とても大人になられましたね」

 同級生の少女たちがアイドルにお熱になっている同じ頃、男君が養育している姫君に久方ぶりに話しかける、こんな古めかしくも雅な世界を、葵さんは几帳をずらすようにして頁の合間に覗き見していたのだ。
 随分とおとなびている。おとなびているが、十代の少女の中には大人と同等かそれ以上の精神年齢の高さを持っている子がいるのであるから、葵さんもそうだったのだろう。

 本編には、年齢こそ成人であっても大人になりきれなかった、だらしない、騒がしい、自制心のない母親や女が出てくる。
 そんな女たちとは違い、主人公である少女の眸は、ひどくさめている。
 はっきりとした思考と嗜好を持ち、気に入らぬものは気に入らぬ。
 反抗の冷たい刃を秘めたそのその眼つきで、少女は身近にいる母を眺め、近所の小さな世界を見つめている。

 少女には父親がいない。母らしい母もいない。友だちもいない。
 誰もいない。
 誰もいないその世界に、或る時期から、「男」が現れる。
 それは「大人の男」ではあるのだが、どうしたわけか少女は最初からこの大人の男のことを、慕いながらも、庇護するような気持ちで観察しているようなのだ。

 悪い噂の中で、ぽつんと落ちた滲みのように生きている独り暮らしの淋しい男。
 律儀に墓参りを欠かさぬ誠実な男。
 大好きな大人の男。

 しかし少女はすでに、その小さな胸に別離を引き受ける覚悟と準備を整えている。
 一緒にいたいと願う、叫びにも似たその願いが叶わぬことを知っている。
 自分で自分の未練や感情のけりをつける、それは少女が「大人の女」の眼をもつ少女だからだ。
 大人の男のほうがその眼光に気圧されて困惑してしまうほどに、大人の女の眼をしているからだ。

 彼らの近くには、昼間から愛人を部屋に連れ込んだ女や路上に血を散らした女がいる。
 そんな穢れから離れるように、少女と男は川べりを歩く。
 繰り返し、彼らは川べりを歩く。
 少女はその小川で生まれてはじめて、大人の見守りの中で子どもらしい水遊びをやる。

 成長した少女はいつの日か、すべての少女がそうであるように、適当な男と愛し合うのだろう。
 その時、シーツと男の身体の合間に横たわる女の脳裏には、昔暮らしたあの町と、花の名を教えてくれたあの懐かしい大人の男の姿が浮かんでいることだろう。
 彼のあの手あの声あの笑顔。
 裾を揺らした風。夏の日のことが。